文章を読めない人が増えているという話題に於いて、文章を倫理的に理解する人と感情的に理解する人とに二分されるようなことを岡田斗司夫が言っていた。
うーん私はどっちかななんて考えてみた。
いや明らかに前者だろうと思いはするが、はたして感情をないがしろにしているわけではないことも記述しておきたい。
まぁ二分と言うか、両端に位置して間にスペクトルがあるようなものかもしれなくて、その波長が近しい人との方が話してて楽しい気はするよね。
通じ合えるから。
それを私的には語り合いたいのは、言葉にせねば分からないから。
言葉にしたくないという感情もあるのだろうけれど、それすら言葉にしてほしい。
言葉にするのは恥ずかしいと言った上でこう感じていると言えばよいではないかと考えてしまう。
ん、やはり前者やな。
こう思ったからこう行動した。
こう行動したら、こう察してくれると考えた。
そうしたことを言葉にしなければ、全てを勝手に推測して無駄に悩まねばならないから。
せやけど、そんなん不可能わかってる。
いくら言葉を多くしたところで疑ってしまえば意味をなさない。
全くもって、問題は解決しない。
さて、今日も悩もう。