プーブロ

日々の出来事から考えたことや、ふと思いついたこと、主に、そうした頭の中の出来事が吐露されることと思います。アウトプットの場ですね。

感謝の概念を、遠い昔より誤って認識しているかもしれない。

どうも、様子がおかしい。

「相手の気持ちに対しての感謝」なるものが、この世には存在するらしい。

しかも、多くの人がそれを理解してしている様子を伺える。

ん?何なんだそれは???

 

私は遠い昔から、一方的な行為に対して感謝の気持ちは生じないどころか、迷惑とさえ感じてきていた。

 

その行為が受ける側の意に沿ってこそ初めて感謝の気持ちが生じるものであり

行為する側は、相手に必ず求められる行為をすべきで、そうでなければ余計なお世話でしかないのだ。

 

つまり、相手のために何かをするというのは、まずその相手をよく観察し、趣味嗜好、考え方を調べ尽くして、更に今がどういう状態なのかというタイミングも計った上で、それでも意に沿わない可能性も含めて謙遜しながら行為せねばならないのだ。

 

その結果、ピタリと相手に合致した場合のみ感謝というご褒美を受け取ることができるのであって

何も調べずして合致しない余計なお世話に対しては感謝の年は世界中どこを探しても見つけられるものではないどころか、疎ましいだけなのである。

 

それが、私の感謝というものに対する概念であった。

 

ところがどうも、世の中は違う様相を呈しているようだ。

 

相手を思って行う行為は、浅はかであれそれ自体が感謝の対象になるらしい。

 

ばかな。

 

そんな感情は、私にはない。

体の隅々のどこを探しても見つけることができない。

 

相手に感謝されたいならば相手を調べて相手に合わせるのが当然だろうと思っていた。

 

皆が軽率に感謝を述べるのは、述べてやっているのだと思っていた。

 

なるほど。

だから私、客商売が難しいんだわ。