プーブロ

日々の出来事から考えたことや、ふと思いついたこと、主に、そうした頭の中の出来事が吐露されることと思います。アウトプットの場ですね。

感謝・謝罪ができない人の原因という動画を見た。

多くの人が愛してやまず、事あるごとに大切だと口にする言葉、感謝。

私は、好まない。

感謝感謝と人に言われる度に眉間にシワが寄る。

 

私も、意図してその言葉を使わないではない。

利用価値があるからである。

だがしかし、私にはあまり感じられない言葉だというのがここで明かす真実である。

その原因を、自分ではこれまで幸福下にいないからだと考えていた。

つまり、感謝とは自分が幸福であるのが感じる条件だと考えたからである。

自身の心が良い状態であるが故に、そのことを感謝できるという理屈だ。

自身が何をやってもうまくいかない不幸のどん底にいる真っ只中に、誰に何を感謝するというのだ?

 

つまり、感謝できる状態というのは、幸福下でなければならない。

故に私には幸福感が少ないから感謝もすくないのであろうという論理であった。

あながち、間違ってはいないと今でも考えてはいる。

 

動画では、そこに脳の機能障害を持ってきていた。

うむ……

 

その実私は以前、自身に対してそれを疑って専門医を受診したことがある。

当時付き合っていた精神保健福祉士が、私をボーダーだと言ったことも自身を疑った要因に含まれる。

そして、彼がいなくなった際に自分を支援してもらえる環境を整備しておかねばと思い、何年か前に受診した。

 

発達検査を行っている市内の診療所であるが

そこで3回訪問して、都度高額支払って、かなり時間を要して得られた結果が

発達障害ではないという言葉のみであった。

独特な感じ方をするようだというフォローもされたがなんの意味もなさない。

 

私がそれを彼に伝えると、発達障害であるという診断をくれるところに行かなければだめだと言われた。

 

さて私は、診断が欲しかったわけではない。

自身の状態がどうなのかを知りたかったのと、いざというときに頼る場所を確保しておきたかったのだ。

 

そして私は健常者なのかといえば

今日見た動画で検証するも、やはり偏りはあるっぽいのかなと考えている。

あまり、世間ではがじかれる傾向にあるような偏りである。

 

つまり、他者の気持ちを想像はできるが共感はできないというものである。

あぁその状況は悲しいだろうね、でも私は悲しくないとか。

この行為は一般的には感謝すべき行為だよね、でも感謝という感じを私は持てないとか。

 

そしてそれは脳が先天的に持ち合わせるものだから、治しようがないんだよね。

そして自身もそれを治したいとは思わないし、自分の特性が嫌いではない。

 

どちらかと言えば、そのことを他者に理解されたい気持ちが強い。

私は感謝をしづらい人間だから、それを求めてくれるなと。

 

人間関係やっかいやけど

そんな自分が自分は好きやから、それでええねん。