プーブロ

日々の出来事から考えたことや、ふと思いついたこと、主に、そうした頭の中の出来事が吐露されることと思います。アウトプットの場ですね。

あなたの思考をポジティブに考えてみる試み

何故、私に対して否定的な言い方をするのか。

そのことが気がかりでした。

前回、私が嫌がったことを改めて蒸し返そうとした言葉に驚きました。

 

「コンセプトが定まっていないといけない」ということをしきりに言っていたと記憶します。

私は、かなり以前から「昭和レトロ」と言い続けているのに、何故「定まっていない」という見方をされるのかが不思議でなりませんでした。

「絵を描いてみたらいい」ということも言いましたね。

ですが、絵を描くも何も、今あるこのままだと言っているではないか。

今以上何かを求めているわけではないのに、何故絵を描かなければならないのか。

ふと、カフェAを例に挙げていることで思い付いたのですが……

もしかしてあなたが言うコンセプトとは、何かイメージするものを作り出していくものだと考えているのだろうか?

だとしたら、大きな齟齬が生じている。

私の言う昭和レトロとは、新たに昭和のものを集めたいだとか、昭和っぽい風景にしたいという嗜好ではない。

つまりAのそれを私は指していない。

正直、私はAにさほどの関心は無い。

ステキ空間ではあるが、それは全て作られた偽物。

私の好む価値は適塾のそれであり、我が家の工場のそのままなのだ。

つまり、幕末志士たちが情熱を発したそのままの場所であり、ばーばらが毎日あくせく働いた場所なのです。

つまり、その歴史に、実際に私は価値を置くのです。

決してAに価値が無いというのではなく、Aはこれからあのご夫婦が価値を作られていく場所なのです。

そうした私の価値観が、およそ他者から見たらジャングルに無装備で新入するようなものと見えるのかもしれませんが、私視点で考えるならば全く逆なのです。

興味しない何かしらの空間を作ろうとなんて思えないし、これからこの場所がどう変化していくかは、私と私に関わる人との物語なのです。

 

私は、その場所の備品へのこだわりよりも、そこで織りなす人間関係、笑いや涙といった感動こそに価値があると考えます。

イメージしにくいなら、東京にある「ランドリーカフェ」を検索してみてください。

洗濯機が置いてあるカフェなんですけどね、決してそれがメインではなく、人との関わりで店主が予期しなかった色んな風景が出来上がっています。

 

でも、決してそれをまねしたいという思いは全くありません。

このくらい寛容に変化していくやろうなって思っているということです。

 

私はそれ以前に、来られる方の思い出にこそ価値があると考えています。

古いものは自身の過去を想起するのに役立ちます。

あなたが昔の女優の写真を見て、古い映画を想起したように。

誰しも、自身の経験した良き思い出というのはとても大事で愛おしいものだと思います。

それを思い出すということは、忘れかけていた宝物を見つけるようなもの。

そういう幸せを、来られる方に感じてもらえたら嬉しく思います。

 

私は、あなたが思うようなジャングルに入っていこうとしているのではありません。

私は私の思いに自信があります。

それは、継続する自信です。

無理ならやめようなどとは、これっぽっちも思っていません。

どうなるかはもちろん分かりませんし、しんどいこともあるかもしれません。

だけど、やめるという選択肢はいまのところ持ち合わせていません。

 

何かまだ、疑問点があれば、優しく聞いてください。

決して上から物言わないでください。

教えてやろうなどという態度はとらないでください。

 

私はあなたと語り合いたいし、同じ目線で互いを尊重して話し合いたいと思います。

「それ以上言わないで」と私に言わせないでください。

発言の結果、私が落ち込むようなことは言わないでください。

 

人は、全く異なる経験をしてきているのだから、価値観が異なって当然です。

互いに理解しがたいこともあるでしょう。

ですが私は極力あなたと話し合って理解しあいたいと思っています。

それは、価値を同じにするのではなく、異なる価値観を認め合うということ。

そして、私がやりたいことを他の誰かがやるのではなく、私がやるのだという視点で見てほしいと思います。

私はあなたの価値観を邪魔したくはないし、あなたがあなたの人生を楽しむことを望んでいます。

あなたの円と、私の円の重なり合う部分を共有しましょ^^