プーブロ

日々の出来事から考えたことや、ふと思いついたこと、主に、そうした頭の中の出来事が吐露されることと思います。アウトプットの場ですね。

認知症の原因にかんするマキプ独自の考察

高齢になるということはどういうことか。

だんだんと体の機能が衰える。

不自由が多くなる。

そして……

大切な人との別れを多く経験する。

喪失感。

これは計り知れない。

私なんかが想像しきれない。

大切な人を失う辛さを乗り越えて老いぼれた身体で生きていくことがどれだけ苛酷なことだろうか。

そこまでして生きなければならない意味とは何なのか。

そういうことを考えてみた。

 

或いは新しい若い家族の存在が生き甲斐という人もいるだろう。

でもそれは頻繁に会える距離に居て関われるという条件が必要になる。

現代の核家族社会ではなかなか難しい。

故に共生型や地域のつどい場がもてはやされるのだろう。

 

人は、生きていかねばならない。

色んなものを失っても。

体の自由がきかなくなっても。

死ぬまでは毎日を生きなければならない。

生きるとなれば、毎日なるべく苦しまずに過ごしたいというのは誰もが望むことだろう。

ただ、前述したように年を重ねまくってみると、どうもそれが困難なのだ。

身体は動きづらい。

一人暮らしで寂しい。

楽しみなんて何も無い。

それでも生きなければならない。

その、手段として脳味噌が認知症を生じさせているのではないかと、私は考えた。

 

私たちはしばしばアルコールを摂取する。

それは楽しい宴会もあるだろうが、しんどい日常を忘れるためであったりもする。

何れにせよアルコールは脳を開放してくれる。

アルコールで足りない人は、薬物に手を出すのかもしれない。

 

だがしかし高齢者は両方困難だったりする。

代わりに、脳が自然と記憶を消してくれるようになる。

 

これまで誰かの役に立っていた自分が世話になる存在になる。

自分は迷惑でしかないのではないかと思ってしまう。

子ども扱いされて、下の世話までされなければならない。

そんな日常は素早く忘れなければ心穏やかに生きていけない。

 

つまりね。

認知症は周囲にとって迷惑で困った症状なのだけれども

本人にとっては心の安定を図るための術とも考えられるのだ。

 

だからね。

その生きる術のみを改善しようなどと周囲の人は考えてはならない。

薬で症状が緩和されるのであれば、それは本人を辛くしていることになるから。

 

本当に認知症を改善したいのであれば

薬ではなく、本人が辛くない環境を設定してあげれば良いのだと思う。

 

例えばね。

本人が気付かない内に素早く下の世話をするとか。

本人の得意なことをお願いして、ちょっとでもできたら感謝するとか。

本人が寂しくないように常に誰かが傍に居るとか。

 

あくまでもこれは専門家でないマキプの持論に他なりません。

うちの場合は違うとか

そんな甘くないとか

意見を含む、批判・中傷は固くお断りいたします。