プーブロ

日々の出来事から考えたことや、ふと思いついたこと、主に、そうした頭の中の出来事が吐露されることと思います。アウトプットの場ですね。

コミュニティー・サークルを作りたいなぁ~

・哲学好き

無頼派

音楽理論好き

・西洋の歴史好き

古代文明好き

量子論好き

・画家好き

 

まぁ何でもいいんだけど

ニッチな分野の魅力あるコミュニティーを作りたい。

この、魅力あるというところがみそで

人によって何を魅力と思うかって違うんだろうなー。

多くの人が何に魅力を感じるかということを

ニッチな分野を愛する人に当てはめられるのかという疑問も生ずる。

 

まず自分の好みでこしらえてみるとした場合

例えば「人が生きる意味について持論を語る場」というものがあるとして

それを真剣に批判されずに心理的安全性を保たれた場所で語れるならば

こんなに嬉しいことはないと思う。

あーでも、否定的に考える人が中にいるかもしれないけれど言わないだけという状況にしたくない気持ちもあるな。

だとしたら、「サルトル好き集まれ」の方が良いかもしれない。

同じ好みを共有する場にしたい。

そこには共感があって

普段孤立しているような人が満足できるような場にしたい。

 

そうだなやっぱりタイトルは「○○好き」とした方が良さそうだ。

もっと狭めて「サルトルの『嘔吐』を読んで納得した人集まれ」

これならば、参加者による知識の大小を極力抑えられるのではなかろうか。

 

そういう意味で本は活用しやすいね。

注意事項を付加すれば、タイトルに当てはまるそれだけで参加権限があるわけだから敷居が低くなるんじゃないかと考える。

 

司馬遼太郎の『峠』を読んで河井継之助に好感を持った人が語り合う会」とかいいね。

よし、その路線でいってみよう!

たまには普通にブログを書いてみようと今は思っているよ

それは書きたいネタがあるからである。

そのネタとは、ワードプレスについて。

どうやらそれによってブログやらHPを作れるらしい。

レンタルサーバーを利用して月額500円くらいで作れるらしい。

ただ、それを本当に自分で作れるのだろうかという一抹の不安を今現在抱えていて

そのことについて考察するにあたって本来は計画を練ってみることが求められるのだろうけれども

そこがいつも苦手な分野であり苦手を無理して推し進めようとすると嫌気が差して前へ進めそうにないので得意分野である文章形式でアウトプットしてみることにした。

 

今、ホットカーペットの端に座っている。

部屋にある暖房機器の中で最も消費電力の少ないものを使用しようと思った。

デスクとの位置関係の都合上、端に座ることとなった。

残った面積がもったいない気はする。

 

月額500円だとすると、年間6,000円となる。

試しにやってみるには適当な金額であるように思える。

やってみればいいじゃないか。

うん、私自身もそう思う。

 

今は何でもユーチューブ先生が教えてくれる。

ちょっと頑張ってみたらいいじゃないね。

時間がかかったとしても勉強だと思って。

 

ではそこで何をする?

やっぱりまずはブログかな。

ブログ……

ここに書いているようなものでは到底なくて

収益に繋げるためのブログ?

宣伝のためのブログ?

 

いや、これまでfacebook書いてきた経緯から察するに、私にはそれが不可能なんだよ。

つい、心理を露呈してしまうのさ。

そして評価を気にしてしまうのさ。

それが嫌でfacebookをやめたのにね。

 

だがしかし、残したい。

そう、自己の哲学を残したい。

考えてきたこと。

思想。

残したいのよ。

それが故のブログなのよ。

 

ついでにHPできりゃいいよね。

ついでに宣伝できりゃいいよね。

ついでにネット販売できりゃいいよね。

過去の私への感心と今の私の貪欲

過去ブログを読む。

うまいこと書くなと感心する。

自画自賛ナルシスト。

不変思考故の共感か。

いやその文体もセンスあるなと。

 

そうしたものを多くの人に読んでもらいたいと私は思っている。

だがしかし我儘な私は、宣伝して読んでもらうことを望まない。

 

読んでください。

読んだったで。

こんなの嬉しくない。

 

ただ単に数を増やしたい訳ではない。

 

不意に見つけた記事が面白いやん、と思われたい。

それが積み重なって、マキプの思想好きやわと思ってほしい。

その人が、最近この人のブログ好きやねんと親しい人に話をし、そうして広がっていく過程の積み重ねで多くの人に読んでもらいたい。

 

私、別に宣伝したわけでもないねんけどー、なんかバズってまーすみたいな状況がええな。

 

せやけどまぁそれはほとんどありえへんやろうと分かってはいる。

 

そうした欲望を吐露してみたかった。

 

およそ多くの民は好まない欲望の露呈。

私は、そうしたことを言ってしまえる人をかっこよく見る。

そうして、そうしたかっこよさを自分でも表現したいものだから、ここにこう、吐露してみた次第。

 

共感は求めない。

誰にも理解されない孤独、それが人間だから。

西田幾多郎に出会う

嬉しい朝。

彼のドキュメントを見た。

彼の名のみ知っていたそれまでの自分に付加された喜び。

 

作品、思想、その前に人生があるから

私はそれを知って感銘す。

 

多くの死を見

戦争の行く末を見定め

否定する思想までも

文面の意味解釈を操られ

不本意に利用され

嘆き

悲しみの中で生命を終える。

 

考えること

書くこと

学問すること

それが救いだった。

 

その頭脳は戦時

その意味を明確に見定めて

社会を批判的に見ていたが

 

その彼が今の世に生きていたならば

このコロナ禍をいかに見るか。

 

私たちが戦時に騒いだその向こうを

思考と論理で見通したように

今の痛みに苦しむなかれ

その先を思考せよと

そのように言われたような気がしているのである。

 

どう生きるか。

どこへ向かうか。

その考えの道筋を

私も書いていきたい。

 

没頭することそのものに

その答えを見いだせる気も

無きにしもあらず。

私を褒めるな

自信を持ちたい。

自信こそ、行動のポジティブな原動力となる。

だがそれは、あくまでも自信であり

他の称賛とは全く異なる。

 

褒められるほどに

おだてられる程度の事柄かと

落胆す。

 

何故なら

自信のある事柄とは

他にまさる故のことであり

他に無い能力であり

そのことの自覚なのだから

 

そもそも他者が評価できることではないのだ。

そのことにかんして

自分より秀でていると思う人からの称賛こそ価値を成すのであって

一般レベルの褒め言葉など

それ自体が無意味である。

 

どうしても褒めたいと思うならば

その基準を自己の視点である旨を明確にすべきである。

例えば、この作品は美しいと言うのではなく

この作品は美しいと私は感じた

といった具合である。

そこに信憑性を込めたいのであれば

更なる詳細を述べると良い。

曲線と色彩が今の気持ちに心地良く馴染むように感じる、といった具合に。

その際、少々ネガティブなコメントを加えると、更に真実味を増す。

ここの部分は良く理解できないが、といった具合に。

スパイスになるのと同時に、全てを把握しきれない自己の未熟さが表現されて、謙虚さが伝わるからである。

変わりたいわけでわない。だって自分が好きだもの。

色々と無駄に考えすぎてしまう頭。

正直、しんどいし、ネガティブにしかならない。

行動は狭まるし、他者と関わりたくなくなる。

だけど、そんな自分を変えたいわけではない。

考えすぎてしんどい自分も含めて好きだもの。

かわいそうにと思えたり

考える能力の行使だと自負できたり

要は我が強いにすぎないが

それって自身の特徴だし

逆に、考えない人に対して軽蔑の目で見る。

 

何が、どの部分が困るって

他者に嫌われる性質だと自分が思っている点だろうか。

 

自身の我の強さは他者に嫌われる性質故

他者は真の私を知ったら嫌うに違いない。

それを確認したいがために

私は私をさらけ出したいと思うのかもしれない。

良いイメージで誤った解釈を好まれたくないのだ。

ネガティブな部分、悪徳な部分も含めて極力真実に近い私を知った上でそれを認めてほしいと願っている。

決して、理解など求めない。

他者を理解することなど不可能だ。

ただ、認めてほしい。

それだけなのにな。

承認欲求の海で溺れそうになった。

Facebookやめました。

 

虚構しかない世界に

嫌気が差しました。

 

こんなところ行った私。

こんなん食べてん私。

こーゆーの好きやねん私。

楽しんでます私。

いいねしてや。

すごいやろ。

コメントちょーだい。

リア充やで私。

 

そうした投稿しかない世界。

ここは一体どこなんや。

 

そんな群衆に混じる私。

逸脱することを許されない暗黙の秩序。

華やかで恐ろしい世界。