プーブロ

日々の出来事から考えたことや、ふと思いついたこと、主に、そうした頭の中の出来事が吐露されることと思います。アウトプットの場ですね。

憤懣

うわべ人間

しんどいな

綺麗事

なんやねん

ものすごい距離

そういう関わり

それを美徳とする人間

嫌いや

だから人間関係

しんどいんやな

 

なんで本音で話してくれへんのやろか

技術がないんかな

本音で且つ相手を傷付けない言い方が

わからへんのやろか

と、決めつけたくなる

 

こう悩み考えること自体が

そうした自身が悩みの根源であることは言うまでもなく

わかりきっているが今は

そこに注視するのではなく

とにかく相手を

他者を

責めまくりたい

そんな気分なのである

 

責任を他者とした視点という定義で今回は

おもっくそ文句言いたい

そういうときもあってええやろ

常に自己を責めてもしんどいだけや

 

くそやろう他者め

怒りのエネルギー

転嫁不可能なエネルギー

 

自己を正当化して

他者を責めてみる

悪人と思いたまえ

それでええねん

エネルギーは放出しやな

溜め込む方が危険やで

 

悪になりきって

そんな自己を愛すべし

そんな自分であるということを

他者に知らしめたい

 

そしてそれは

全ての人間に共通することやと

私は思っている

だからすべての人が吐露すればいい

醜い自分をさらしたらええやん

そして打たれて

打った人もまた晒すねん

 

みんな晒しまくったらええねん

本音しか言えない世の中になったらええのに

切なさと、虚しさを、ほんのり感じる朝。

期待と

それにそぐわない現実

そして失望

 

過去幾度と繰り返すそれら

結果を分かっていても切望するのは

万にひとつの幸福を感じてきたからだろう

 

そろそろ良いのでは

そろそろ幸福な回答が得られるのでは

そうした期待が

今後も幾度も私を期待にかりたて

多くの切なさ

虚しさを呼んでくるのだろう

 

回避や逃避も対応手段ではあるが

その感情を真正面から見つめ

しっかり傷つく

それが私のやり方である

 

非常にしんどい信念であり

それによって更に落ちることもあろうけれども

私はそうした自分を愛し

しっかりと受け止めるからこそ

真正面から癒やされる道筋を考えられるのではないかと

また期待する

 

それが正しいかとか

間違っているとか

そうしたことではなく

私はそういうものなのだという部分をすら

大切にしたいのである

 

ただ結局毎度

回避や逃避にてやり過ごしているようにも感じられる

 

今腹が鳴り

それに喜び

それを満たすことを考えて

そちらに幸福を得ようとしている

 

それが自然なのか

逃避なのか

 

修行は続くよどこまでも

全部、私や。

安珍清姫の紙芝居を見て

私みたいと思った。

それを言ったら「ええーーー」って驚かれた。

みんなはちゃうんかな?

他人事で見てるんやろか?

 

ムッソリーニのドキュメントを見て

私みたいと思った。

自信家で傲慢で孤独。

 

みんなは、最低なやつだと思って見るのだろうか。

あくまでも自分とは異世界だと考えるのだろうか。

 

司馬遼太郎の峠を読んでいて

河井継之助を自分と比較して似ているところをそうそうとうなずく。

だけど全てがそういうわけではなくて

こはちゃうなという箇所もある。

 

孤独は全部私。

切ないことは全部私。

はみでていると、それ私。

行動論や韓非子が理解されない理由に関する考察

そもそも行動論が受け入れられ難いという事実を、ポジティブ主義者の個の推察から起こる拒否反応による理論の勘違いが原因だと思っていた。

どうも、異なるかもしれないと思ったのは、類似の理論に関しても批判的見解しか示されない状況を見たからである。

 

あれ?自分の理解が間違っているのか?

いやそうであったとしてもなかったとしても、一方の解釈しかできないっておかしくないか?

 

もしや、思考のリズム?回路?何かが違うのかな?

 

良し悪しを問うているのではなく

ただ単純に「理論」の意味理解の話なのだけど、それが解釈されない。

 

それが故に昔の哲学者は難解な表現を用いざるおえなかったのかな。

 

私も、理論を説明して正しく理解されたいな。

 

勉強やな。

同じ波長で語り合える人と出会えたらどれだけ素晴らしいだろう

文章を読めない人が増えているという話題に於いて、文章を倫理的に理解する人と感情的に理解する人とに二分されるようなことを岡田斗司夫が言っていた。

うーん私はどっちかななんて考えてみた。

いや明らかに前者だろうと思いはするが、はたして感情をないがしろにしているわけではないことも記述しておきたい。

まぁ二分と言うか、両端に位置して間にスペクトルがあるようなものかもしれなくて、その波長が近しい人との方が話してて楽しい気はするよね。

通じ合えるから。

 

それを私的には語り合いたいのは、言葉にせねば分からないから。

言葉にしたくないという感情もあるのだろうけれど、それすら言葉にしてほしい。

言葉にするのは恥ずかしいと言った上でこう感じていると言えばよいではないかと考えてしまう。

 

ん、やはり前者やな。

 

こう思ったからこう行動した。

こう行動したら、こう察してくれると考えた。

そうしたことを言葉にしなければ、全てを勝手に推測して無駄に悩まねばならないから。

 

せやけど、そんなん不可能わかってる。

いくら言葉を多くしたところで疑ってしまえば意味をなさない。

 

全くもって、問題は解決しない。

さて、今日も悩もう。

心が曇る。

今はそういう時期?

ずっとそういう時期?

このまま待つ?

なんとかする?

 

必要最低限の金額を計算してみた。

その金額を稼ぐ手段を模索してみた。

自分が心身共に健全に実行できることを考えてみた。

あとは、実行するのみ。

 

となるとやはり

ガリは必須。

 

契約書もできたことだし。

どれだけ稼いでほしいかも明確になったことだし。

自分の時間が持てるようになったら

行動も拡大するから

 

そう考えたら

心の雲も

少しは晴れ間を見せてくれるかな。

 

今日、弟家族が帰ってきた。

引っ越してきたわけだ。

なんだか、どきどき。

精神状態を保てるか否か。

 

しんどいときに子どもたちにさわがれたらどうなるかな。

そっと、しておいてほしいんだけどな。

 

とにかく作業を遂行しようかな。

それしかないもんね。

 

頭は勝手にいらんこと考えるけど

仕方ないもんね。

罪悪感

お金を稼がなあかんと思ってるから

お金を稼ぐことを常に考えてなあかん思てるから

それ以外のことをしているとき

罪悪感。

 

生活しているときは

言い訳できる

かろうじて。

 

本読んでても

ええんやろかと思ってしまう。

 

本にええこと書いてたら

勉強やと思って安堵できる

かろうじて。

 

レジャーなんてもってのほか。

 

せやから脳みそ窮屈で

誰にも会いたくなくなって

客なんて来るなと思って

本末転倒。

 

仕方ないから

商品開発でもしやんと

自分に許してもらわれへん。