プーブロ

日々の出来事から考えたことや、ふと思いついたこと、主に、そうした頭の中の出来事が吐露されることと思います。アウトプットの場ですね。

吐露。

結局のところ「本人主体」とは何かということを考えあぐねていたのだ

 

まず、専門職をいきって「これが正しい」と豪語するやつが嫌いだ。

それはまさしくそいつにとっての本人主体でしかないからだ。

 

例えば認知症で歩くのもおぼつかないおばあさんの介護についてが問題で一家に専門職が支援に入ったとする。

誰がどう見てもそのおばあさんが「本人」であり、おばあさんにとっての最適を「出来得る範囲」で確立するのが輝かしい法と考えるだろう。

この「出来得る範囲」というのがみそで、これは基準があるわけでなく家庭によって千差万別。

ここで「考慮する項目」をどういう視点でどれだけ用意できるかが専門職の腕の見せ所ではないかと思う。

ここで愚かな専門職は「一般的にはこう」ということを言う。

素人が納得しやすい誘導材料である。

腹立たしい。

事例は全て、個別だ。

おばあさんがどういう環境でどういう風に育ってきたか。

何が好きで何が嫌いなのか。

家族構成と関係性はどうなのか。

そして関わる人それぞれが何を求めているのか。

そうしたことを綿密に見ていかなくては「本人主体」は確立しないと私は考える。

そしてそれは変化する。

最初はデイサービスを望んでいたけれど、やっぱり家族介助の自宅入浴がええわってなるかもしれない。

そこで「自宅は介助がしんどくなるからデイがいいですよ」と勧める専門職はうざい。

自宅がええって言うてるんやから、せめて勧めるとしても訪問介助でしょ。

専門職の経験による知見で「将来こうなるだろうから」という懸念を家族に押し付ける行為が腹立たしい。

それで納得する家族もいるだろう。

専門職に助言されたい人は多いかもしれない。

そういう人はそれでいい。

そうでない人もいる。

求めていないのに関わってくる専門職は特にうざい。

とにかくうざいのだ。

うざいと思われるような言動を専門職がするなって蹴っ飛ばしてやりたい気分なのだ。

 

はぁ、吐露。