プーブロ

日々の出来事から考えたことや、ふと思いついたこと、主に、そうした頭の中の出来事が吐露されることと思います。アウトプットの場ですね。

「人に尽くす」ことと「人に求めない」ことは私の頭の中では両立しない。

多少、複雑な話になる。

あくまでも、私個人の価値観なのであって

自分と異なる故の批判は遠慮されよ、と申し述べておく。

 

まず、人を含む動物の行動は全てにおいて自分のためのものであると私は考えている。

自分のため、つまり必ず自分に利があるからこそ人は行動するという行動の原理の話である。

これは決して私のみが勝手にほざいていることではなく

心理学領域の応用行動分析(ABA)では機能分析を行うが

ある行動に対する先行事象と結果事象を見て

先行事象よりも結果事象が本人にとって望ましい場合

その行動が増えるというものであり

これは人の行動を説明するものである。

上記の私の言葉は、そのことを述べているにすぎない。

 

つまり、人に尽くすという行為を考えてみても

自分に利がなければ人はそれを行わないのである。

この、利というのは利益の利であるが、もちろん物や金のことだけではない。

誰かにプレゼントを渡す場合

その人が喜んでくれることで自分も嬉しくなる。

つまり、それが自分の利であり

それがあるからこそ、その人にプレゼントを渡すのである。

そしてこの場合、自分はその人が喜ぶという姿を求めていることになるのだ。

何も求めないという場合、そもそもその行動は生じない。

 

これが私の理屈である。

故に「人に尽くす」ことと「人に求めない」ことは

私の頭の中では相反するのである。

 

そのためか、私は人に尽くすということが良く分からない。

全ての行動は自分のためだからである。

たとえ相手に喜ばれようとも

たとえ感謝されようとも

喜ばれたり感謝されたりして嬉しいのは自分なのだ。

つまり、自分のためなのだ。

 

だがしかし、感謝されることをはなから望むと行動できない。

感謝されるという見返りを期待して行動すべきか?という新たな疑念が生じる。

だがここに矛盾があるのだが

相手にプレゼントする場合

喜んでもらう期待があるからこそ、その人の喜びそうな物を選ぶ。

そうして選んだものを渡すわけだから、やはり喜んでほしいと求めてしまう。

その結果、喜ばれたら安堵するかもしれないし

思ったほど喜んでもらえなかった場合は落胆することになる。

 

次回のプレゼントはもっとリサーチしようと思うか

もうプレゼントなんかするもんかと思うか

それはその人次第だろう。

 

そんな複雑なことを考えてしまうから

私はプレゼントが非常に嫌いなのだ。

渡すのはまだいい。

自分の行動だから、相手に反応を求めず

渡す行為を遂行することを目的とすれば良い。

その場合、無事目的遂行したという自分の利が生じる。

 

貰う場合はやっかいだ。

まず、どういう意味合いの物かを考えてしまう。

その物が自分にとって必要か否かを考えてしまう。

どのように反応すべきかを模索せねばならない。

そしてたいてい、嬉しくもないのに喜んだふりをする。

私はその「喜んだふり」行動によって相手とのトラブルを避けようとしている。

 

ともかく「人に尽くす」という言葉それ自体が

私には「おせっかい」やら「思いあがり」に思えてならない。

尽くしていると自分で思っていても

相手の心の内は分からないのだ。

もしかしたら私みたく

喜んだふりをしているかもしれない。

それでも満足感が味わえるのならば

それはそれで良いのかもしれないが。