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プーブロ

日々の出来事から考えたことや、ふと思いついたこと、主に、そうした頭の中の出来事が吐露されることと思います。アウトプットの場ですね。

不可能を夢見ることは不条理か?

これは昨日の読売新聞朝刊のある箇所に見た言葉である。

フランスの哲学試験の一問らしい。

この質問に対して恐らくは何らかの解答を文面で示し、そこに点数が付けられるのだろうから何とも不思議な感覚だ。

どういう採点をするのだろうか。

 

因みに私ならまず、不可能という言葉に異議を呈したい。

何故ならば私の辞書に不可能という文字は・・・

ではないけれども、いや本当に、不可能というものは存在しないと考えている。

不可能があるとすれば、現時点においてという定義が必須になる。

つまりは、いかに現実的に不可能であると考えられることであっても

未来に同じことは言えないということである。

科学の発展。人は進化し、進歩する。

過去、私たちが不可能だと考えてきたことが

現在可能になったことも多いではないか。

故に、未来に託せば不可能なものなど無いと私は考えるのだ。

 

例えば死者を蘇らしたいと夢見た人がいるとして

現在の価値観では不可逆的であり確実に不可能である。

がしかし、身体が腐る前に冷凍保存して状態を保った肉体に特殊技術を加えて

脳波を蘇らせることが可能になる未来が来るかもしれない。

だとしたら、そうしたことを夢見ることは不条理なんかではなく

研究者を育てるモチベーションとなろう。

 

例えば1+1が2ではなく10であってほしいと夢見るひとがいたとすいる。

何をばかなと笑えるか?

今私たちは四次元の世界で生きている。

四次元の常識で生きている。

それはまさしく1+1=2の世界だ。

がしかし、宇宙は広い。

到底四次元では収まり切らない。

現在でも、十次元はあるのではないかと囁かれている。

十次元の世界では、1+1=2なんてありえないかもしれない。

それこそ1+1=10かもしれない。

だとしたら、これは疑うことなく夢見ることにより宇宙の真理に近づけるのではないかと考える。

 

結論

不可能を夢見ることは不条理か?

答えはNoである。

夢見て不条理なことなど、この世にもあの世にも皆無である。