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プーブロ

日々の出来事から考えたことや、ふと思いついたこと、主に、そうした頭の中の出来事が吐露されることと思います。アウトプットの場ですね。

逃避

二十代、三十代と、私はよく旅に出ました。

マイカーでの一人旅です。

海外にも行きました。

そのほとんどは、逃避旅行だと振り返って今思います。

毎日の生活の中で

何かに迷ったり、ぶつかったり

もしくは何も無くとも

自分の先が見えなかったり

見えている先に不安を感じたり

本来は、具体的に整理して考えて答えを導くべき課題であったとしても

迷った脳はうまく働かず

逃避してごまかそうとする癖があったようです。

ところが旅に出て解決するのかと言えばそうではなくて

思い返しても泣きながら運転していたり

とにかく苦しい感覚が消えずに無我夢中に運転していたりする記憶があるばかり。

結局のところ一人旅によって私は救われなかったのです。

まずもって問題が何なのかが分からないままに行動していることろがよくないのかもしれませんが。

当時の私は幼かったのです。

 

今、成長したのかと言えばはっきりとした等とは言えません。

言えないまでも、今になって気付いたことがあるのです。

当時の私は、日常から目をそらすべく旅に出たのだが

旅先でも苦しさに変化はなかった。

私が逃げたかったのは、私自身だったんだ。

最近、歴史にはまってます。

歴史はいいですね。戦国も幕末も近代も。

私は歴史に癒されているんです。

そんな中で気付いてしまったんです。

歴史には私がいないのだ。

現在の平面空間では

どこへ旅しても私がいる。私を移動させているのだから当たり前なのだけど

ところが歴史には私はいないのだ。

それから本の中にも。

歴史や本(小説など)には私は存在せず、歴史や本の登場人物は私に話しかけることはない。

誰も私を評価しないのだ。

故に、私は誰かに評価されていると思わなくて良いのである。

私は、私との関わりを一切持たない歴史や小説の中で

ようやく逃避旅行が出来たのだ。

 

現実に戻ると必ず私はいる。

決して自分が嫌いなわけではない。

その逆で、私自身は自分を愛している。

だが、反面やっかいな自分と付き合いきれない苦痛も存在するのである。

やっかいだが、一生付き合わねばならない。

時々、歴史や小説に逃避しながら。