読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

プーブロ

日々の出来事から考えたことや、ふと思いついたこと、主に、そうした頭の中の出来事が吐露されることと思います。アウトプットの場ですね。

大阪城

f:id:pcpcenter:20160331154312j:plain

桜ほころぶ春の陽気に、大阪城へ行ってまいりました。

平日にも関わらず、花見客が大勢。

驚くは、外国人の多いこと。

半数以上は中国語や英語で埋め尽くされている様子でございました。

たまたま、思いついたのがこの時期であったため、桜も満喫した次第ではございますが、私の目的は大阪城にありました。

 

大阪に住んでいると、幼い頃から何度も訪れる、城と言えば大阪城というくらい、当たり前のもののはずなのですが、過去の訪れがいかにもったいないものかを、興味して向かったこのほど、知ることになりました。

改めて見る城は、大層立派なのですが、それより何より、堀に圧倒いたしました。

あれ、こんなに大きかったのかと、再認した次第でございます。

 

大阪城公園駅近くの駐車場に車を入れた私は、東外堀沿いに南へ向かいます。

そのまま天守へ向かうには、北東の青屋門が近いのですが、私は南外堀に見たいものがあったのでございます。

一番櫓を仰ぎ見て、音楽堂横を抜け、南側の階段を上って西へ歩を進めると、南外堀がございます。

堀の広さと石垣の素晴らしさに感動しながら進むと、六番櫓が見えてまいります。

その、丁度下の石垣の中央付近に、石垣ひとつ分くらいのくりぬかれた穴があるのです。

この穴が、未だ解明されない謎の穴なのですね。

奥行き2メートル付近で中は埋まっており、そこには木の柱らしきものがあるらしく、意図して作られた穴であることは間違い無いようです。

ネットでささやかれる噂では、本丸からの抜け穴だとか、櫓からの抜け穴だとか言われておりますが、なにせ石垣のど真ん中ですからね、逃げるための抜け穴とは考えにくいです。

 

この大阪城、秀吉の城として有名ですが、実のところ現存する石垣や櫓、その他建造物等は全て徳川時代のものであることが過去の調査により分かっているのです。

天守閣のみは、秀吉時代のものを、鉄筋コンクリで再現しております。

つまりは、抜け穴と言っても、秀頼の子鶴松が逃げたとかいう噂の抜け穴ではありません。

 

さて、大手門から入った私は、現在公開中の櫓内部を見学いたしました。

そもそもの目的はこれでしたので。

今回、公開されていたのが三か所、多門櫓、千貫櫓、焔硝蔵。いずれも徳川時代のものですが、落雷や火災で、何度か焼失しています。

にしても古いものに、私は感動いたします。

柱の一本一本、この空間、装飾品、それぞれに、いにしえの風景が想像されるのでございます。

勿論、城は要塞ですから、敵侵入を防ぐための設備が要所要所にございます。

 

西の丸庭園の迎賓館にて、黄金の茶室を拝見した後、桜に囲まれし道を、桜門に向かいます。

が、ひとたび素通り。

丁度、桜門の脇の堀は、水の無い空堀になっております。

その空堀沿いに東へ進むと、水のある内堀の手前に石積みの通路らしきものがあるのです。

今はかなり崩れていますが、中は空洞になっており、人が通るくらいのスペースがあるのです。

さて、これも謎の石積み。一直線に本丸と二の丸を繋いでいるんですね。

解明は出来ずとも、こういうものがあるということが面白いのですよ。

 

その位置から、今度は二の丸側の石垣をみていると、一番底の一か所に、何やら緑色のフェンスらしきものが見えます。

実はこれ、防空壕らしいのです。

戦時下、大阪城は、陸軍の基地になっていたらしく、二の丸と本丸の下に、巨大な防空壕が発見されているんです。

その、入口の一か所がそのフェンス。

こんなの、誰も見ていなかったけど、こんなに大勢観光客がいる中で、私だけが見てるってのが、面白いのです。

 

漸く、桜門を通って本丸に入るわけですが、その前に桜門の正面、大きな石があるのです。

蛸石と言い、大阪城の石垣の中で最も大きな石です。

こんな大きな石、よく運んだものだと感心します。

大阪城建築は、分割して各藩に割り振って行われたようです。

したがって、様々な石切り場から石が運ばれて、石には藩の刻印があるのです。

石の刻印を見たり、石垣の箇所によって積み方が異なっているのを見るのも面白いものです。

 

本丸も、外に負けない人だかりです。

ですが一角、穴場があるのです。

天守を見て左手に、日本庭園があるのですが、その付近、殆ど人がいないのです。更には池があり、そこに写る逆さ城が美しい。

ここでほんのり、ひとときを過ごし、いざ天守へ。

 

八階建ての天守へは、エレベーターコースと階段コースがございます。

前者は長い列。

私は勿論後者にて。

結構足にきますが、良い運動になりまする。

やはり中はひどごみ。

これで平日だから、土日が恐ろしい。

 

まぁ中はざっと見学して、人から脱出。

天守より右手にまわって、向かうは山里丸。

ここには石の広場と、その脇のひっそりとした一角に、秀頼と淀殿自刃の地の碑があるのです。

花と水が供えられた、大きな石でございます。

私はその碑を拝み、極楽橋を渡って大阪城を後にしました。

 

大阪城から車で数分のところに、三光神社という真田のゆかりの場所がございます。

そこには、真田の銅像があり、抜け穴があるのです。

 

歴史は謎だらけ。

その謎がまた、神秘なのだ。

疲れた私は、翌日爆睡でござりました。