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プーブロ

日々の出来事から考えたことや、ふと思いついたこと、主に、そうした頭の中の出来事が吐露されることと思います。アウトプットの場ですね。

認知症の行動を、行動論は説明できるだろうか。

お風呂に入れるのも、入れられるのも、互いに慣れたもんで、手際良く、心地よく、後味も良い昨今。

祖母の場合は、体が動くから、介助しやすい方であろう。

よろついたり、起立姿勢に不安はあるものの、シャツにはうまいこと手を通す。

毎日、彼女と話す中、特に目立ちだしたのが、空との会話である。

二人で居て、私は食事の支度をしている。

テレビもついてはいない。

祖母は、ふいに「え、なんてや?」等と発言するのである。

来客の声も、電話の呼び出しも聞こえぬ祖母が、無音時に突如、発言するのである。

と、これは私側の解釈である。

恐らく祖母にとっては、何かしらの声ないし音が聞こえた故の発言であろう。

祖母は、認知症の症状がある。

検査は受けていないが、おおよそ確実であろうと考える。

ここで、私の方が、何かしらの病気であると疑いを持たれたならば、話が続かないので、私はごく一般、正常であると設定してのことと仮定していただきたい。

つまりは、認知症の祖母の、「え、なんてや?」発言行動を、機能分析することが可能かどうかということを、考えてみたのである。

・・・が、書けないのだ。

先行事象は、何も無い。

後続事象、これも、唯一そこに居る私が無視したため、何も無い。

がしかし、祖母の「え、なんてや?」発言行動は、言葉の多少の変化はあるものの、日に一度は発生するのである。

つまりは、祖母の発言行動は、何かしらの好子によって強化されていると言えるのだ。

さて上記に、機能分析出来ないと書いたのは、私の知る限りである。

これを、祖母の脳内を想像して考えなおしてみる。

A何か、声が聞こえた → B「え、なんてや?」 → C何か、声が聞こえた

だとしたら、成り立つ。

実際の現象は、Bのみである。

が、異なる次元で祖母は、コミュニケーションしていたことになる。

 

同じく認知症に、行動療法が通用しうるか、という疑問がある。

応用行動分析は、あらゆる人と動物の行動について、説明可能であるとしている。

がしかし、そこには大なり小なり、学習理論が付きまとう。

認知症の人も、もちろん学習はする。

人は、死ぬまで学習する。

がしかし、年齢と共に、忘却の速度が増す。

認知症にいたっては、一足飛びに増す。

そして遂に、学習速度を遙かに上回る速度で忘却する。

だとしたら、言ったことを理解するのに10分かかり、それを忘れるのに1分もかからないのである。

もちろん、忍耐強くルーチンにこぎつけることも不可能ではない。

がしかし、費用対効果ならぬ、忍耐対効果を考えた場合、そこまでしなくとも、別の方法でなんとかしちゃえる方が遙かに方便なのだ。

と、そこまで考えたならば、それは認知症でなくとも同じことかもしれぬ。

対象者が、それに適するか否かの判断も、援助者には必要の知識であろう。

私は、行動理論が好きだが、必ずしもそれしかない派ではない。

逃げ道を、作ってほしいのだ。

専門家になれない者の言い訳かもしれないが。

 

それはさておき、認知症への行動介入である。

私は、行動療法のみでは困難であると感じている。

誰か、可能だとする納得する説明してくれないかな、と思ったりもする。