プーブロ

日々の出来事から考えたことや、ふと思いついたこと、主に、そうした頭の中の出来事が吐露されることと思います。アウトプットの場ですね。

状況に応じて・・・

貪欲に毎日、朝起きてから夜寝るまで、100分de名著を見まくっています。

一部終わっても、またすぐ始まる嬉しさったら。

楽しくて仕方ありません。

 

さてこの番組は、哲学系が多いのですが、様々な人が色々なことを言っていて、そのそれぞれに感心したり、それはどうかと思ったりするわけですね。

時々さ、過去の偉人の名前を出して、この人はこう言っていると言ってみたりすると、正にそのことが正しいことのように聞こえてかっこ良かったりするよね。

説得力にも加担する。

だけど、これだけ多くの人が、様々なことを言っていて、それぞれに他者を否定することもある。

つまりは、偉人の誰もが正しいとかいうわけではないし、そもそも誰かが正しいとか間違っているという考え方がおかしいわけだ。

私は以前、松陰好きの友人に、松陰はこう言っているという説教じみたことを言われたのだが、私も松陰は好きだけど、松陰の言うことが全て正しいとは思わないと言い放ってやったさ。

松陰はさておき、同じ人のセリフでも、この言葉は共感できるけど、これはちょっとーなんてこともある。

つまりはさぁ、状況によって、ぐっとくる言葉って変化するんだよねー。

落ち込んだ時はこの人、生き方を模索するときはこの人、みたいに。

だから、色んな人を知っておくと便利かもしれない。

そんな風に思った。

 

とりわけ私は、サルトル実存主義に共感。

人生は必然ではなく、偶然。

嬉しかったね、うわー同じように考えてる人がいたって思った瞬間。

でも、神秘的なことを全く信じないわけじゃないんだよね。

祈りは通じるし、言霊もあると思う。

ただ、これらは科学的に存在するものだと、私は考えているのだ。

何かしら、今だ解明されていない、検出されていない物質によって通じるものがあるのではないかと考えている。

それと、悟りらしきものも、科学的に察知するものだと考えている。

繋がりもそう。

現実に起こった事象と、関係することが別の機会に出現することはよくある話で、例えば昼間話題にした事柄が夜テレビに出てきたとか。

これは偶然なんだけど、翌朝また別の人が同じ話をしたら、あれれ?と思い始める。

それが、普段は考えもしないような寺の名前であったり、昔のマイナーな偉人であったりしたら、天は一体何を私に悟らせようとしているのだー?なんて考えてしまう。

例えばそれが地名で、そこに行ったとする。

ここに一体どんなヒントがあるというのだ?という目で様々な物を観察する。

すると、ああ、これかーというものと出会うのだ。

さて私は、こういう思考をしているにもかかわらず、これら全てを偶然だと思っている。

運命は無い。

使命も無い。

人はただ、生きている。

ただ、自分の人生の意味は、自分でつくることが出来る。

決められたものは無いからこそ、自分で作り上げていく楽しみがあるのだ。

これ以上勝手なこと言ったらサルトルに怒られるかもしんないから、ちゃんと本読もう~と。