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プーブロ

日々の出来事から考えたことや、ふと思いついたこと、主に、そうした頭の中の出来事が吐露されることと思います。アウトプットの場ですね。

母と娘

NHKの『100分で名著』にはまってから、オンデマンドの見放題パックに申し込み、以降幸福な大人視聴にふけっている。

今日はたまたま、太宰治の『斜陽』を見てみたならば、母と娘の関係についてがクローズアップされており、先日の叔母を思い出した。

祖母の今後についての相談で赴いたのだけれども、その際にどうも、亡き祖父の時と異なる雰囲気を感じたのだ。

私は、孫という立場で、祖父母と長きを過ごしたわけだが、個人的には、ほとんど外出していて偉そうで自慢ばかりしていた祖父よりも、愛嬌者で、常に傍に居た祖母を好んだ。

どうも、弟にしてもそんな様子が伺えた。

更には、祖母を気にかけて、たまに叔母が来てくれる様子からも、叔母もそのように自分の母を愛しているものと思い込んでいた。

が、先日は、自分は離れているから、色々そっちで決めてくれて良いということを言った。

それから私は、ひ孫が来ると表情が変わる話をした。

だから、叔母の系統の子どもたちも遊びにきてほしいという流れにしたかったわけだが。

こちらのひ孫がわかいいのは、内孫がかわいいからだと、叔母は言った。

同じ孫であるのに、嫁いだ娘の子供より、同居する兄の子どもをかわいがるということを、自分は感じたの言うのである。

そう言われてしまっては、私はそれ以上何も言えなくなってしまった。

叔母が、そう感じたというなら、そう感じたことは否定出来ない。

私には、かわいがられないんだから、連れて行きたくないって言っているように聞こえた。

でも、昭和初期の、嫁に出る感覚の根付いた人間感覚や、物理的環境の相違を考慮すれば、内孫と外孫に愛情の違いが生じるのは無理の無いことのようではある。

現に私はなんかも、父方の祖父母には愛情をもらったのかもしれないが、母方の祖父母なんて殆ど会ったことも無い。

おおよそそんなことくらい、叔母も心得てはいると思うのだが。

心得ていると思ったならば、問題は金銭であろうか。

私の知らないところで、何かしらの下手なやり取りがあったかもしれない、と勘ぐってみたりしても始まらないが。

いや、若しくは単に自分が忙しくなって、あまり手伝ってやれないよ、ということなのかもしれないが。

とにかく、思いがけず祖母と叔母に『母と娘』を感じたわけである。

私には、幼い頃から母はいないし、娘もいない。

故に、その関係の複雑さは、幸か不幸か経験できないでいる。

ともすれば、母との不仲の代わりに、父と不仲なのではなかろうかと思ってみたり。

兎も角、祖母の件にあたって、その不仲の仲介役を、叔母にお願いしたわけである。

それに関しては、すんなり承諾してもらった。

私は、祖母の支援に、三つのポリシーを掲げた。

1、本人主体

2、支援者の連携

3、情報伝達

2と3は共通するところもある。

皆がおおよそそれぞれに異なることを心に思っていることだろう。

こうすればいいのに。

ああしてくれたらいいのに。

それを意見として、皆が開示して、総合的に考察して、本人の希望に合致するか確認して、実行可能か精査して、といった、対話が必要だと私は考える。

そこに、プロに入ってもらおうと、今考えているところである。