プーブロ

日々の出来事から考えたことや、ふと思いついたこと、主に、そうした頭の中の出来事が吐露されることと思います。アウトプットの場ですね。

感謝の前提条件には満足があり、両者は比例するという主張。

よし、タイトルから大きく出てみた。

感謝とはちょくちょく耳にするが、人間の感情の一種であると私は位置づけている。

私はその感謝の感情を、あまり感じない種類の人間だと比較無く勝手に思っていた。

ところがある日、私の心に明確に感謝の感情がわき起こった。

祖父の介護である。

物事がうまくいかず、悩んで悩んである行動をとった結果、周囲の人々が協力してくれてうまくいった経験をする。

その際、心から皆に感謝を感じた。

自分は、なんて現金なんだとその時思ったが、同時に、何故私は感謝出来たのだろうかと考えてみた。

 とそのときに、感謝とは何か、その対象となる事象があるはずだと思ってみた。

つまり、何かに対する感謝なのであり、理由付けが必要なのだ。

私は、祖父の介護に関して協力してもらったことに対して深く有難いと思った。

それは、私の思いに応えてもらえたからである。

ここで私が、協力を望んでいないにも関わらず同じ行動をされていても感謝感情は芽生えなかったのではないかと推測する。

決して、皆が行動してくれたから感謝するのではなく、皆が私の望みを叶えてくれたから感謝したということなのだ。

周囲の行動は同じであっても、私が満足していなければ私は感謝しなかったのだ。

当たり前のことを書いているようだが、まぁ、そういうことだ。

何が言いたいかって、テレビでインタビューされている有名人がやたらに感謝を口にすることに対して、自己の努力によって得た功績について他者に感謝する人徳を称賛する声が、私はあまり好まない。

ひねくれている、わけであるが。

インタビューされている本人は恐らく、本心から感謝を感じているのだろうね。

だけど、それだけのことである。

その人の人徳でも何でもない。

感謝を感じられる程、満足している羨ましい人で良かったね。

ひねた私は、そう思う。

勇気のある記者は聞いてもらいたいたい。

すんげー失敗した有名人に、「今、周囲の皆さんに感謝していますか?」と。

だってさ、高成績の際のコメントには必ずと言っていい程「感謝」が登場するのに、成績が思わしくなかった場合、自己の反省のみだよ。

周囲は変わらず応援していたはずなのに、自分の成績が悪かったからって「感謝」を言葉にしてもらえなくなっちゃう。

客観的に見ると、自分の成績がどうであれ、周囲の人に対する感謝は同じであるべきでしょって思っちゃう。

だけど、それが出来ない。

確実に、失敗すると、つまり、満足していない状況の場合、感謝の気持ちを忘れる。

感じられない。

それが人間なんだと思うんだよね。

だから、感謝を感じられたり、素直に口にしたり出来る人は、ある事象に関して恵まれた人なんだと思うわけです。

勿論、誰もがそうだとは言わない。

言わないけど、そうなんじゃないの?って思っている。

しかも、両者は比例する。

自分一人で行ったことでもね、成功したら誰かにありがとうって言いたくなる。

満足度が大きい程、その思いは強い、ような気がする。

そんなわけで私は最近あまり感謝の感情が無いよー。

自己の反省モードが長いねー。

だけど大丈夫。

感謝した経験はあるからね。

いつかまた、きっと必ず。