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プーブロ

日々の出来事から考えたことや、ふと思いついたこと、主に、そうした頭の中の出来事が吐露されることと思います。アウトプットの場ですね。

後悔しないための今の行動

土曜日に遊びにきた友人とは、色んなことについて議論するのが会う時の楽しみとなっていました。

友人もまた、私とは異なる回路で思考することを好むたちでした。

時に共感し、時に食い違う。

だけど互いに考えを尊重し合えるからこそ発言することができ、それを互いに楽しむことができる。

その日は、空海の入滅をどう捉えるか、ということについて議論しました。

 

その日の夜中、その友人からラインがありました。

相手が寝ていそうな時間帯の連絡は避けるような人でしたから、あれ、何だろうと思ったんです。

「父の容体が急変したから緊急で病院に向かいます。」とありました。

以前より、膵臓と肺に別個の癌があると聞いており、つい先日も救急搬送されたとのことでしたから、「あ、また・・」と思ったわけです。

 

以前より友人は、祖父に対してそうであったように、亡くなった後、悔まないように今色んなことをしてあげたいと言って、抗がん剤治療が始まるまではちょくちょく温泉旅行に連れて行っていました。

お父様が、温泉がお好きらしく、次はあそこだという具合に注文するらしいのです。

つまり、ちゃんと言ってくれるので、親孝行しやすいわけですね。

もしかしたら、お父様が親孝行させてくれているんじゃないかと思ったりもします。

友人は、大好きだった祖父が亡くなる前に、十分祖父孝行したらしく、そのため亡くなった後に悔やむことは何一つ無いと断言していました。

そうした経験があるが故、今回も極力本人のためになることを今したいんだと思います。

ただやはり、実際に急変を経験すると、かなり参ってるんじゃないかと想像します。

おじい様の経験は、お父様に必ずしも重なりはしない。

おじい様のとき、友人は学生だったと聞きます。

今は大人ですし、気弱になっているお母様に代わって自分が色んな決断をしていかなくちゃなりませんから。

しかも、慣れない医療の中で。

自分も仕事があって、毎日忙しいのに、どれだけの時間をお父様に費やせるのか。

中庸が求められるのかもしれませんが・・・

もしくは、お父様に傾いて多くの時間を割くべきなのかもしれません。

 

空海の入滅について、友人は考えました。

人間なのだから、今もずっとお経を唱えているというのはあり得ないことなのだが、僧侶は毎日食事を運ぶ。

空海はそこに居るとする。

このことについて。

人は、死の直前に思うことが、そのまま念になると考えると言った。

生きてきた間に考えたり経験したことを踏まえて、死の直前にどういう感情にあるか、ということが大事なのだと。

私たちの日常の経験が夜見る夢に反映するのと一緒で、死の間際の感情が念となっらり怨となったりするのだと。

空海は、人々の幸福を祈ってお経を唱えてきたが、死んでも尚、唱え続けたいという思いの中で亡くなったのだと思うと。

そしてその思いを察知したお弟子さんたちが、毎日食事を運んだのだと言う。

 

つまり、友人がそう考えるのであれば、お父様がいつどうなるか分からない現状において、本人が苦痛無く幸福を感じられる日常を設定する努力をせねばならない。

体が動ける内は温泉に連れて行けた。

だが、弱って苦しむ人間に一体何をすれば良いのか。

恐らくは、友人に出来ることには限りがあるし、もちろん本人も理解しているだろう。

つまりは、ある程度は、苦しむ父親を見なければならない。

その、覚悟と解釈を友人は、どのようにするのだろうか。

 

私は、たまにやってくるラインの情報に、「分かりました」とか「おつかれさま」とか返事するのみではあるが。