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プーブロ

日々の出来事から考えたことや、ふと思いついたこと、主に、そうした頭の中の出来事が吐露されることと思います。アウトプットの場ですね。

卒寿

私は、幼少より母がいない。

離婚により家を出た。

父もまた、多くの時間を赴任地で過ごした。

故に私等は主に、祖父母と共に居た。

祖父は丁度、人生において最も生き生きとした時期であった。

自己の活躍にふけった。

私等は、祖母に育てられた。

その祖母が先日、卒寿を迎えた。

にもかかわらず、私はその日を忘れて日常通りに過ごしてしまったことを今、少し後悔している。

常日頃私は、彼女に幸福を感じてほしいと願っている。

彼女の幸福とはつまり、人である。

誰かや誰か、そして誰かが常に、一緒にいてくれる日々を幸福と感じる人であった。

彼女の過去が、そうであったように。

常に誰かを、気にしているのである。

つまり、どうも人が好きであるようだった。

 

先日、親類が亡くなった由縁で今日、人が集まった。

皆、それぞれに毎日があるためか、なかなか会わない連中である。

今日の祖母は楽しそうだった。

何を話すでも良いのだ。

訳がわからなくとも。

会えるというだけで嬉しいらしい。

そんな喜ぶ祖母を見て、私も嬉しかった。

 

祖母は、一週間風呂に入っていないと言った。

どうも、億劫らしい。

まだ若い私でも億劫に感じたりもするのだから、歳がいけば尚更なことは想像つく。

でもって、頭がかゆいとも言う。

私は、祖母が風呂に入りたくないなら、無理に入る必要はないと思う。

ただ、臭う前に拭くなりの対策は教えねばならないだろう。

いや、もしくは、そういう日常をしなくなると、老いる速度が加速したりするのだろうか?

・・・であっても、本人の人生である。

本人の好きなようにしたらいい。

 

ただ、私の悩むところは、時間が迫っているという部分である。

別段、病気というわけではないが、なにせ歳である。

ああして、こうして、そして孝行というわけにはいかない。

今すぐ、でなければ意味が無い。

今、めいっぱいの幸福を感じてもらわねば、私は将来悔やむのだ。

いや、今現在既に悔やんでいる。

もしくは、何をやったところで悔やむのかもしれないが。

 

明日は、祖母の大好きなひ孫が来る。

祖母が喜ぶので、月に一度、連れてきてくれている。

祖母は、もっと近かったらと、いつも文句らしいものを言うが、

写真を見ただけでメロメロになって文句は吹き飛ぶ。

私は恐らく、そのひ孫及びその両親が頻繁に訪問したくなる環境を作らねばならないのかもしれないが、

そうした環境設定は私の苦手分野であった。

 

弟夫婦は、自分たち幸福を見つめて生きている。

というか、自分たちの生活に必死なのだろう。

恐らくは、子どもが生まれたら皆、そうなのだろう。

老いる者は、置いてきぼりの風景が浮かぶ。

その風景は、知ってはいるが、まず見ない。

敢えて見ない。

田舎に残された老夫婦は、子どもを案じ、孫を思う。

片方が逝き、寂しさと暮らす。

そして今、子育てに夢中になっている若夫婦もいつか、そうなっていく。

若く強い時代は、周りに人が居て

弱ってきた頃に一人ぼっちになる。

 

祖母に育てられた私は、何故かそんなことをよく考えてしまう。

自分が寂しいのが辛いから、誰かが寂しがっていることも辛くなる。

自分が誰かと居て幸福の中にいても

そんな時こそ、今頃祖母は・・と考えずにはいられない。