プーブロ

日々の出来事から考えたことや、ふと思いついたこと、主に、そうした頭の中の出来事が吐露されることと思います。アウトプットの場ですね。

距離の微調整中

近所に住んでいた弟夫婦は、子どもが生まれて半年経つか経たない頃、車で1時間の距離へ越してしまった。

その理由は聞かなかった。

聞いたところで、職場の近くであることを述べるだろうことは想像付いた。

もちろん、その理由は大きいだろう。

ただ、理由はひとつではないだろうことを察した。

それでも私は、祖母を連れてちょくゅちょく遊びに行って、赤ちゃんとの密な関わりを維持することを想像していた。

・・・が、それは実現しない方向に向いた。

私が、車を走らせなかった、その理由は、プレゼントを拒否されたからである。

奥さんの社交性に甘えて、手作りのベストやらスタイを、贈ったのだが・・・

とりあえず受け取ってはくれるものの、返答が無かった。

以外だった。

てっきり、不要であっても社交辞令的謝辞はあるものと考えていたからである。

そういうのが数回続き、これは消去手続きだと思った。

つまり、お礼を述べたり、着用させたりすると、私のプレゼント行動が強化されるから

無かったことにしているわけである。

もし、私が尋ねたら何か適当な返答をするのかもしれないが、私は素直に弱化した。

ただ、そうした行動は、行動のみでは収まらない。

私のメモリーに、傷として残るのである。

もちろん、相手の気持ちも考えてみる。

欲しくない、迷惑だと言葉で言えないのだから、行動で示す他無いのだろう。

 

さて、一家は、引っ越し以来、月に1度の実家訪問を行った。

ただし、それは引っ越し当初である。

徐々に、その間隔が開いてきている、というのが事実である。

そこを、深く勘ぐってしまうのは私の悪い癖かもしれない。

 

先日のブログに書いたが、かわいい姪っこの誕生日だった。

私は、あげたいプレゼントを、祖母からだということにしてlineで連絡した返事がまた、無いということである。

私はまた、悶悶としなければならなくなったのである。

がしかしだ、私は突破口を見出してみたのだ。

つまり、返事が無いという状態は、一体どういう状況なのかが分からないという不安が自己を不穏にさせている。

他者が分からないのは当然である。

自己の状態に、納得できる理屈が必要だったのだ。

 

引っ越し前、私たちの距離は近かった。

が、子どもが生まれた夫婦は、何よりも大切な宝物を手にしたわけである。

つまり、子どもを中心に周囲を見るようになる。

どういう環境を設定すべきか。

そこに、どういう人がどういう関わりをするのか。

そうして色んな状況を選択する中で、転居というものがあった。

人は、誰しもずっと同じではない。

時間の流れと共に、事物や人との距離も変化していく。

それが、両者が同じように動くなら良いが、そううまくはいかない。

たいていどちらかが動きだす。

もう一方は、それに反応して動くかもしれないし、戸惑うかもしれない。

私は、急な距離感に戸惑ったが、徐々に微調整しようとしている。

人は、好きと嫌いがあれば、必ず嫌いが勝つ。

好き同士でないと、一緒にいられない。

片方が遠ざけるなら、もう一方はその場で距離を見守るか、自分も遠ざかるのである。

その、微妙な距離を、今私は計りつつあるのである。

それは、全体的な秩序を保つためである。

そうした理屈を考察してみたら、とりあえず自分に納得できた。

だから今は、相手の反応を待つ時間であるということで理解できるのだ。

 

人間関係って、難しいな。