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プーブロ

日々の出来事から考えたことや、ふと思いついたこと、主に、そうした頭の中の出来事が吐露されることと思います。アウトプットの場ですね。

加害者は特別か?

毎日のように猟奇的な犯罪が報道され

ただただ、うわぁーと思うこともありますが

時折、ピックアップされる犯罪もあり

考えさせられます。

被害者に対して本当に気の毒と思うのと

加害者に対しても、どんな人生を送ってきたのだろうと

考えずにはいられません。

 

よく見聞きするのは

加害者に対する非難の声。

メディアでは直接的ではなく

供述のどの部分をピックアップするかによって

リスナーに意図的に特定の感情を抱かせようとする意図が

あからさまに伺える。

 

さて、こうした犯罪を起こしてしまう人は

起こさない人と全く異なる人間なのだろうか。

 

最近よくオレオレ詐欺に気を付けていた人が

詐欺にあってしまうといったケースがあると聞く。

私たちは、自分は大丈夫と思っているが

いつ犯罪に巻き込まれるか分からない。

 

これとは違うが

私たちは犯罪を起こす側とも同じ人間なのである。

 

私は先日、実家で料理をしていました。

祖母にお茶を淹れ、和やかな空気の中

たわいもない会話をしておりました。

お茶を飲み終えた祖母は、カップを流しに持ってきました。

そして水でさっとすすいでかごに置き

流しの桶につけてあった器も手に取りすすごうとしました。

 

こんなことを書いたら気の利くおばあさんだと思うでしょう。

私も思います。

ただ、これが他人なら思います。

私は祖母が適当に洗って

洗い残しがあったことを何度も経験しているため

祖母の食器洗い行動が嫌悪的に感じるようになってしまっているのです。

それでも自分のカップまでは

見て見ぬふりしました。

次の器に手をかけたとき

ついに言ってしまいました。

「それ、おいといてくれたらいいよ。」

祖母は構わず「こんなんちゃちゃっと洗えばええねん。」と。

私は、恐らくは他者が思うより遙かに怒りがこみ上げておりました。

「でも何が入ってたか分からんやろ、もしくっさいものが入ってたならそんな洗い方じゃ臭いが残るで。」

あおりたてる感じに。

祖母は反発心が生じたようで

「何が入ってたか分かってる。さっき自分で使ってたもん。」

こうなると文脈がいいかげんになり

それが更に私の怒りを買い

私はかよわい祖母に対してぼろくそに暴言を吐いたわけです。

まぁこんな場面を見た人は

なんてひどいことをと思うでしょう。

もしこうした場面を私が見たとしても

なんてひどいと思います。

しかも、そんなことを考えながら暴言を吐いたわけです。

まぁ、言い訳としては

こんなことでひるまない祖母であり

暫くするとケロっと忘れることを知っており

実際、1時間もすれば和やかに違う話題に花が咲いていたわけです。

 

何が言いたいか。

つまり怒りやねたみ、不安や恐怖といった感情は

人それぞれ異なります。

そして、そうしたネガティブな感情に対する解消法も

人それぞれ異なります。

一般的に多いとか少ないとかいったことはあるでしょうが

これが普通という境界線はありません。

大多数にとって何とも思わない事象

ある人にとって琴線に触れたとして

それを解消するためのその人の手段が犯罪だったと。

些細な日常か犯罪かという差はあれど

そのロジックは同じなのではないかと

祖母に怒鳴る自分を客観視したときに思ったんです。

 

私が犯罪起こすかもというんじゃないですよ。

誤解されると困るんで。

私は100%真っ当な道を歩む所存ですし

恐らくはほとんどの人がそうでしょう。

 

考えたいのは

犯罪者が特別ではないということ。

「罪を憎んで人を憎まず」に近いかもしれませんが

犯罪を犯す直前までの過去があって

その過去の何かが変わっていたら

犯罪者ではなかった可能性があると思うのです。

 

特別な人間がやったことと考えるのではなく

その過去について

様々な環境について考えを巡らせることが大切なんじゃないかと思い

加害者が加害者になってしまった悲劇を案じ

全ての人類が正の強化ではぐくまれることを

望んでやみません。