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プーブロ

日々の出来事から考えたことや、ふと思いついたこと、主に、そうした頭の中の出来事が吐露されることと思います。アウトプットの場ですね。

拘束

ニュースで見かけた、どっかの病院の管轄にある集合住宅での拘束摘発。

見たくないと思った。

枡添さんは冷静に指摘されてましたけど。

こういうことは全国各地、まだまだ山のように行われているのだろう。

 

人間の社会は、強い者が快適に暮らすために弱い者を拘束する。

何故そんなことが平然と出来てしまうのだろうか。

本当に困っているのは疾患のある人で、喋られない人で

コミュニケーション機能が低下した人で不本意に暴れてしまう人なのに。

対応方法が分からないドクターやナースや周囲の人は

「仕方無い」という言葉と拘束帯で高齢者を縛り付ける。

そういうことをする人たちは、長い物に巻かれている内に

大切なものが見えなくなってしまった。

「自分の親でも拘束するのか?」と聞きたい。

 

世の中は何のためにあるのだろうか?

自由に動けて、話すことが出来て、一応の生活が出来る人だけが幸福を追求するのか?

全ての人が幸福を追求してはいけないのか?

特に弱い人こそ幸福追求の援助が必要なんじゃないの?

 

「この子らを世の光に」

糸賀一雄氏の有名な言葉です。

施設に集められていた障害のある子どもたちに

憐れみで光を当ててやろうというのではなく

生まれながらに持っている人格発達の権利を

平等に与えるという姿勢の重要性が現れています。

 

子どもでなくとも、いくつになっても権利が無くなることはありません。

人は死ぬまで発達する。

人は死ぬまで幸福追求できる。

それを阻害する者は、たとえ医者でも違憲である。

 

行動問題に向き合って成果を挙げている専門家は

数は少ないが実際にいる。

ドクターはそうした専門家に学び、患者や利用者の心身の向上に努めるべきだろう。

 

常にトップにいるドクターはどうも人に頼る技術に乏しいようだ。

必ずしも医療がベストではないし

自分の考えが必ずしも最善ではないことを知る必要がある。

 

私は、ドクターが嫌いなわけではない。

多くはとても尊敬するし、実際お世話になっている有難い存在です。

だが一部に拘束を正当化する者がいること

これはいかなる理由であっても許せない。

そういうドクターは、一度自分も拘束されてみたらいいと思う。

人は、自分が実際に体験しないと理解しない生き物だから。