読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

プーブロ

日々の出来事から考えたことや、ふと思いついたこと、主に、そうした頭の中の出来事が吐露されることと思います。アウトプットの場ですね。

祖父の葬儀

私にとって、初めて身近な人が亡くなった。

未だに嘘のような感覚でいるが、時間は刻々と過ぎるし祖父は冷たくなったまま動かない。

 

何年か前まで、この辺は自宅かお寺さんで葬儀を行うのが通例だった。

年々それは簡略化し、最近は葬儀屋が増えたこともあり、近所の葬儀屋にお願いするようになってきていた。

だが、葬儀屋にお願いするからといって楽をしようというものではないし、決して簡素になるものでもない。

父は葬儀の3日間で2キロやせるほど疲弊していたし、祖母は通夜を経て夫の死を理解してきたらしく、告別式の日の朝、うなだれ泣いていた。

私は、疲れている気はしなかったのだが、毎夜風呂でうたた寝してしまうことを考えると疲れているのかもしれない。

 

葬儀屋のコーディネーターは若い男性だった。

この方、よほど勉強されたのだろう、ぬかりなく丁寧に執り行っていただいた。

私は今回、祖父の在宅介護でも多くの貴重な体験をしたが、それは祖父が亡くなってからも同じであった。

それは最初から最後までそうなのだが、とりわけ『湯灌』には感動を覚えた。

 

死亡診断直後、ナースに体を拭いてもらってきれいにはしていただいたが、湯灌では単にきれいになるというのではなく、これから浄土に向かうにあたっての清めの意味も持つらしい。

私と叔母は、その儀式に参加させていただいた。

利用した葬儀屋はシャワー浴で行った。

それは先日見たばかりの訪問入浴そのものだった。

頭や顔も丁寧に洗っていただく。

体はバスタオルをかけ、そこに手を入れて洗っていただく。

ドライアイスで氷の結晶が付いていた髪もきれいになった。

そしてラベンダーのアロマオイルでマッサージ。

まるでエステ。

その後、白い着物を着せていただき、数珠がはめられた。

棺にお守りやスーツを入れていただき、顔は薄く血色良く化粧され、窪んだ口元に綿を詰めて、実際ではありえないような笑みを作っていただいた。

まるで別人なのだけど、それが笑えた。

とても丁寧に美しく仕上げていただいたのが本当に嬉しく思った。

 

葬儀は豪華だった。

葬儀というものに出席する機会はあまり無いため、どういうのが一般的なのか分からないが、それでも祭壇の波打った花花だけでも豪華きわまりないと感じた。

そういうのが好きな祖父だったから、喜び父に感謝しているのではないかと思う。

父は、出しゃばる人間ではないため、明らかに父の好みではない。

祖父の好みを斟酌してのことである。

とにかく豪華に。

そして多くの人に来てもらい、泣いてもらいたいと祖父は思うだろう。

そのために、生前色んな人と付き合ってきたようにも思える。

 

祖父は、死亡が確認されて1時間程経過した頃からドライアイスで冷やされた。

それまで、寒くはないか、暑くはないかとアンカや毛布で調節してきたが、心臓が打たなくなったらそれは無意味になったようである。

更に告別式も過ぎると今度は火葬場に向かう。

炉で焼かれ、灰になる。

寒かろう。暑かろう。

はぁ、そういうことを考えると少し心が痛む。

灰になった祖父。

骨がたくさんあった。

大腿骨に入っていたボルトはそのままきれいに残っていた。

 

本当に不思議である。

つい先日まで動いていた物体が動かなくなるなんて。

つい先日までの心は今どこにあるのか。

 

死んで、また新しい命が生まれる。

当たり前なのかもしれないが、本当に不思議である。