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プーブロ

日々の出来事から考えたことや、ふと思いついたこと、主に、そうした頭の中の出来事が吐露されることと思います。アウトプットの場ですね。

祖父の在宅介護記録① 10月8日(水)大安・快晴

いよいよです。

祖父の退院らしく空は快晴。

前日までに台風が過ぎ、また週末は次なる巨大台風が迫っているとは思えない空。

気温も丁度良く、5カ月ぶりの外の空気は病床の祖父に生命を感じさせたのではなかろうか。

午後2時、退院時刻の病室には関係者が押し寄せた。

往診ドクターが急患のため少し遅れるとの連絡を受けており、その間に各々が担当作業に取り掛かっていた。

院内担当医は忙しい様子で現状を伝えていただいた後、そのまま姿が見られなかったが、看護師長と担当看護師が訪問看護師や私達家族に最終伝達と励ましの言葉をたくさん浴びせてくれた。

お礼にと買っておいた菓子折りはなんとしても受け取らず、後日私たちの胃袋に収まることとなる。

そこに往診ドクターと共に来られた酸素濃縮機レンタルの社員二人と人工呼吸器レンタルの社員が作業に取り掛かる。

彼らは医療従事者ではないが、臨床工学技士という立場で患者の生命に大きく関わる。

そこに福祉タクシーの運転手がストレッチャーを準備してスタンバイ。

ドクターが看護師から書類を受け取り、いよいよ祖父の移動が始まった。

 

5月に臀部の痛みを訴えたときから、ここまでの道のりは長かった。

最初の病院に入院するまでは要介護2で、おおよそ自立生活をしていた。

自分で歩けるし、固くなければ何でも食べられる。

通所リハに行きながら、自分のペースで毎日を送っていた。

入院後、誤嚥が原因の肺炎のため食事がストップした。

ゼリー食も飲み込めず、中心静脈栄養になった。

寝たきり生活になり、ミトンをはめられた。

ドクターとは考えが合わず苦慮することも度々あった。

最終的に、彼の示す選択肢の中から私達はポート手術を選択した。

これは、本人の希望である帰宅を極力早期に適えるための手段だからであるが、そのために転院したことが後に良い結果を招くこととなる。

いや、こうした医療とか人権とか、倫理とか、難しい問題は何が正しいとか間違いだとか簡単に言えるものではない。

ただ私自身、本人主体の理論を実現したかった。

転院してから、容体が悪化した。

熱が少し下がったある日、予定通りポート設置の手術が行われたが、退院が困難になってきた。

あまりに痰が多いからである。

昼も、夜も何度も吸引しなければならない。

昼間はまだ良いとして、夜中も何度も吸引が必要というのでは現実的に困難である。

そういった状況では帰宅出来ず、家族は半ば諦めていた。

その後2度の窮地を超え、人工呼吸器が口に設置され、そして咽頭切開術が実施されたら人工呼吸器はそちらに移動した。

輸血も経験し、熱が上昇する度に頭にアイスノンが置かれていた。

その間に臀部と踵に床ずれができ、踵は壊死した。

病院は寒かったから、常に手足が冷たかった。

 

救急車には父と訪問看護師、往診ドクターが乗り込んだ。

私はマイカーがあるためにそれで荷物を運び、上記の技師たちはそれぞれ機械を積んだ社用車で我が家へ向かった。

家では叔母と祖母、それにケアマネと介護用品レンタルの社員が待ってくれていた。

本人、家族4人、ドクター、ナース、ケアマネ、タクシー運転手、関連器具関係者4人、つまり・・・総勢13人がその場所に居たことになる。

これはすごい。

 

私はこの、地域福祉を関係者チームで支援することを実体験出来たことが、とても嬉しかった。

これからの不安なんて分からない。実際、どうなるかなんて分からない。

だけど、現実に祖父の願いを適えるべくこれだけの人が動いてくれることに感激するのである。

実際の、裏の見えないところにはもちろん金銭的、人員的、スペース的な問題をある程度クリア出来ているからこその実現であることは疑いなく、恐らくは私自身の終末期などには適わないことだと思う。

とにかく、ばたばたしながらも夕方5時頃にはおおかたの段取りが完了した。

祖父は疲れた様子でうなだれていたが、状況を把握し、喜んでいたに違いない。・・・と思いたい。

皆、一人一人と帰ってゆき、その日の晩は静かになった。

心配していた祖母は動揺も無く、前日までの不穏は安堵に変わっていたようだった。

不慣れな吸引もなんとか実施し、夜がきた。

さて、私は眠れなかった。祖父と同じ部屋にベッドを置いたは良いが、祖父の喉からの雑音が気になった。

機械音は全く気にならないが、喉からの音は何を意味するのかが勉強不足のため分からず、吸引すべきときがいつなのかということを常に「今なのか?」「まだなのか?」と考えなければならなかった。

そしてとうとう夜中の3時、私は布団を部屋から出し、眠りについた。