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プーブロ

日々の出来事から考えたことや、ふと思いついたこと、主に、そうした頭の中の出来事が吐露されることと思います。アウトプットの場ですね。

無知は罪。

想像してください。

あなたの愛する旦那様もしくは奥様が入院しました。

ですがあなたの意向は無視され、医療方針は自分の知らないところで進められています。

しかも、散々延命治療は嫌だと言っていたのに

今やチューブにまみれて苦しんでいると聞く。

 

こんな腹立たしいことはないでしょう。

それが今、我が家の現状です。

信じられないかもしれませんが、事実です。

 

祖母は初めから、そう言っていたらしいですが

息子も娘も孫さえも聞いてくれなかった。

私はその聞かなかった孫。

聞かなかったから、そんなこと言っていたなんて知らなかった。

いくら時々認知症が発症しても

妻をないがしろにしたら人権侵害だよね。

 

皆、思い思いの主張がある場合

強い者が勝つ。

力や立場、頭脳や知識が勝る方の主張が通る。

 

さて、終末期祖父の話題です。

父は、ゴルフの予定を全てキャンセルして死期を待ってます。

叔母とは、今日も色々話したけど、「結局は終わってみなければ分からない」と訳の分からないこと言ってます。

祖母は、悲しんでいます。

私は、やはり私は本人主体を強調したい。

分かりやすい言葉で話せば、祖父に届くから。

本人の気持ちを聞いてみたい。

 

今日、祖母と話をしました。

祖母は昔、終末期医療関連の公演を聞いたらしく、その先生が

「延命治療は、最初に家族が拒否しなければならない。」と言っていたそうです。

とにかく、その印象や知人の見舞い時の様子を想起して、心を痛めていました。

そして私の心に響く発言をしたのです。

「今からでも、なんとかならへんの?」

 

そう、そこなんです。

私はなんだかんだ言って何もできていない。

父や叔母に自分の意見は言えても、祖父を楽にすることは何一つできていない。

このままでは後悔すると自分で思っているのに。

今の自分は、祖父が苦しんでいるのを父や叔母のせいにしている気がする。

結局自分も何もできていないのに。

 

叔母は、「結局はこちらのエゴだ。」と言った。

恐らくは、こちらで勝手に決めたことを行うのはエゴだろうけど

祖父の考えを聞いて、それを実行するのがエゴだとは思わない。

 

私は祖父に、どうしたいかを聞いてみようと思う。

私が勝手に帰宅させようとすることには反対するだろうけど

残り少ない命の祖父の思いを叶えることは賛成するにちがいない。

もちろん、可能な範疇で。

大きなリスクも踏まえて。

このままでいいと言えばそのままだし

機械を外して帰りたいと言えば、覚悟を決めて帰宅させようと思う。

もちろん、病院で行う処置ができないから苦しいかもしれないよ、ということは伝える。

人は、身体的な苦しみだけではないから。

それ以上に、病院のベッドから移動できない苦しみ。

話すことができない苦しみ。

唯一の残存機能である手にミトンをはめられている苦しみ。

毎日同じ白い天井を見なければならない苦しみ。

看護師は、よくしてくれるが

常に看護師主体である苦しみ。

自分が求めるものは何一つ叶わない苦しみ。

ただ、苦しい状況において勝手に空気を送り込まれ、生かされている苦しみ。

もう、誰にも、何にも、期待できない苦しみ。

生命の最後に、こんなに人はたくさんいるのに心が孤独になる苦しみ。

 

そういった精神的苦痛に誰が気づくのだろうか。

今、のほほんとしている私たちは、自分の最期に恐怖しないのだろうか。

 

無知は罪です。

知らないからとか、しょうがないとか、そういう人は最期、自分が同じことになります。

 

今の一般は、非常におかしなことになっています。

マジョリティーが必ずしも正しいとは限らない。

私は勉強して、祖父も、祖母も、そして今は無知な父も叔母も、救いたい。

辛いことに蓋をして幻想ばかりを見ている罪人を、なんとか救わねばならない。