プーブロ

日々の出来事から考えたことや、ふと思いついたこと、主に、そうした頭の中の出来事が吐露されることと思います。アウトプットの場ですね。

身辺整理と平穏死

今日は過去の手帳の残りをシュレッダーにかけ、ひとまず自分の恥の形跡は消したかな、と安堵。

祖父の帰宅の可能性がほとんど無くなって、祖父の物を片付け始めた家族。

手帳に、プチ日記があるんです。

本人が活動していた時は自分の出来事を。

隠居してからは家族の出来事を。

几帳面な字で毎日一文あるんです。

皆で感心して見ているときに

私は自身のノートを処分しなければと強く思いました。

人は、いつ何が起こるか分かりませんから。

もし突然に倒れでもしたら

瀕死の状態もしくは死んでしまったら

家族は私の物を整理して中身を確認するはずである。

これはたまらない。

 

例えば、思い出の写真とか。

悩んだ証のノートとか。

手帳の記録は自分の過去の人生を過ごした証。

そう思えば美しいしもったいない。

だけどもっと時間が経過して

私のことを知っている人がいなくなったら

そんな記録は単なるおかしなばかげたものでしかなく

その時代に住む人にとっては何の価値もない。

だとしたら今残してもはずかしいだけ

そんな風におもっちゃったんです。

 

人は、生まれたときから死にむけてカウントダウンが始まる。

その長さは誰にも分からないけれど

皆生きる意味を求め

生きた証を残し

幸福や貢献を望む。

だけど人は

偉そうなことを言いながら周囲に流される。

そうして周囲のせいにして

自分は正しいと納得したがる。

 

社会は、楽に死ねない世の中になってきました。

リビング・ウィルを書いておこうと思います。

祖父を見て、そう思いました。

 

私は、祖父を家に連れて帰るつもりでいました。

そのために転院してポートの手術をすることを選びました。

もちろん、父と叔母に相談して決めました。

なのに術後の経過が思わしくなく

帰宅できないどころか今では人工呼吸器が装着されています。

でかいミトンもしています。

 

私は、祖父が帰宅したら、訪問看護ホームヘルパーを利用して

祖父にとって心が落ち着く環境で過ごすことを想像しました。

それが、叶わなくなりました。

 

父は、祖父が帰宅することは不安だったようです。

そして病院に入院していれば安心できるようです。

父にとっては、ドクターやナースが言うことは間違い無いと思っているらしいです。

自分は、週に一度でも見舞いに行き、私に促されて何かぼそっと言ったり、手を触って冷たいわ、と言う。

たまに病院に顔を出した、という事実で自己満足しているらしい。

 

叔母は、少し家が遠く、電車だと大まわりすることになるし、車に乗せてもらう場合は息子に頼むわけだから、週に一度か二度、こちらに来るだけでも大変だと思います。

そういう離れた立場から、精一杯自分に納得するために理屈を口に出しているようです。

「しょうがない」とか「どうしようもない」とか「これでいいと思わなくちゃ」とか。

言葉にするってことは、やっぱり本当は納得できないのかな、とも思う。

 

ここまで、流れでやってきた。

苦しい延命治療なんてするはずじゃなかったのに。

それでも叔母は、祖父に少しでも生きてほしいと言う。

私には、それが理解できない。

「延命しないのは愛する家族ではないと思う。」と叔母が言ったとき

私はその逆を考えていた。

叔母は、自分を慰めるために言ったにすぎない。

 

「祖母の時は、絶対嫌だから。」私は叔母に言っておいた。

 

父も、叔母も、他の皆も自分の生活があって

病院に行かないときは皆自分に必死である。

祖父のことは忘れている。

祖父は、皆に忘れられている間も苦痛に耐えている。

 

家に祖父がいたら、皆祖父のことを気にしながら日常を過ごすだろう。

病院だと、見ないで済む。

 

叔母は、何もかも済んだあとに自分がこれで良かったと納得したいと言った。

父は、葬式が他の人と重なると忙しいと言った。

そして私も、帰宅を望んでいた私もまた、自分の用事のある日は避けてほしいと願っている。

 

人間は、皆冷たい。

だけど自分の時は温かいものを望む。

何て身勝手なんだろう。

 

私は、臓器提供カードを所持しているけれど、家族の同意はありません。

もしもの場合、私の意思を尊重してくれるかどうか、叔母に聞いてみたら

うなりながら暫く考えて、無理だそうです。

脳死で植物状態でも、もしもの奇跡の可能性を期待したくなるらしいです。

じゃあ、検体は?と聞いてみると

また暫く考えて、やっぱり嫌かなぁ、と。

 

日本では、残される家族の意見が尊重されるから

自分で意思表示できなくなったら後は辛い結果が待ち受けている。

自分の望みは叶わない。

 

でも私、本を買いました。

長尾和宏さんの『家族が選んだ「平穏死」』という本です。

まだ読み始めたところですが

準備すれば叶う気がしてきています。

今の祖父には間に合わないかもしれませんが

祖母以降は幸福で安らかな死を迎えられるように

周囲の人にも意識して考えてもらい

情報収集と勉強をしなくっちゃと思います。

 

日本から苦しい延命治療が消え、緩和、平穏、幸福な終末期が訪れますように。