プーブロ

日々の出来事から考えたことや、ふと思いついたこと、主に、そうした頭の中の出来事が吐露されることと思います。アウトプットの場ですね。

死を目前に、生を考える。

えらく重苦しいタイトルですが・・・

誰にでも例外なくある、生と死。

しかも平均寿命をはるかに超えた93ともなれば、そろそろお迎えが来ても普通の出来事であって、しかも大往生だねといった恐らくは自他共に満足する年齢ではあるのだろうけれど。

だけどこの、およそ1世紀に渡る大正、昭和、平成の世を経験したこの世代の人々はこれもまた例外なく波乱万丈であるに違いない人生を過ごしてきたであろう。

過ぎた年月を思えば人生なんてあっという間だけれど。

今も燃え尽きそうなともし火のこの93年の人生は、計り知れぬ程に重厚だろうと推測する。

いや、祖父のみでなく、誰もが重厚であると思う。人生なるものは。

今も散らんとするこのかすかな息は、儚く弱弱しい。

しかも、いくら人生が重厚なれど、散ればその記録も一緒に散る。

本人は、もしかしたら多くの人の心に残りたいかもしれないが。

人は皆、自分のことで忙しいから。

 

特に、祖父の世代は貴重な存在だと思うんです。

それはやはり、戦争体験者という意味で。

強制的に苦を強いられた世代。

今じゃ考えられない世界。

考え方が違う。

価値観が違う。

昔、当たり前だと思っていた考え方が古くなって、頑固だとか言われて肩身が狭くなる。

学んできたことが、戦争に負けてからはタブーとなった。

 

今の私たちにあてて逆に考えてみると・・・

平和が当たり前、権利主張が当たり前。

なのに突如、戦争になって、攻められっぱなしはまずいから反撃することになった。

もう平和とか、暴力反対なんて言っていられないわけ。

私たちが学校で学んできたことが水の泡になって

私たちが後期高齢者になる頃には、全然想像もしないような社会になっている。

介護するのはロボット。

大丈夫、愚痴言ってもロボットが聞いてくれる。

たまに、ロボットの点検に若い人がやってくる。

人恋しさに話しかけても・・・おばあちゃん、ロボットに話してね、忙しいから。

寂しいなんて言っていられない。

そうなると、もはや自分は何のために生きているのかわからくなるね。

 

さて話を現実に戻します。

今祖父は、喉に穴を開け、人工呼吸器によって生かされています。

栄養は、中心静脈に点滴しています。

つまり祖父は、医療によって生かされているわけです。

周囲の家族は、そういうことを予め予測してどうするかを相談しておくべきだったわけですが、今回にいたっては、流れでそうなったわけです。

つまりは、ドクターの方針大きく祖父の終末期に関わったわけです。

家族は、ついていくのがやっとです。

何が正しいということは言いにくい問題です。

極力、本人の希望を尊重したいのだけど、それが難しいということを今回体験しました。

私たちは結局、延命をして本人に苦痛を与え、それでいて死の訪れを待っているという何とも矛盾したことをしているような、そう見えてしまうわけです。

そう思えば、現代医療って一体何なんだろう。

 

今、私にできることは、頻繁に病院に行くことくらい。

おしりが痛い?と聞いて、頷くのを待ってクッションを差し込んで、しかめっつらが和らぐのを確認する。

言いたいことある?

口をパクパクするのを見て、文字盤を使うか聞く。

首を振る。

口パクでなんて何を言いたいのか分からない。

諦めて寝てしまう。

一体何が言いたいんだろう。

本当に、さっぱりわからない。

はぁ。

 

残りの日数が少ない。

私にできることは何だろう。

何もできない。

何にもわからない。