プーブロ

日々の出来事から考えたことや、ふと思いついたこと、主に、そうした頭の中の出来事が吐露されることと思います。アウトプットの場ですね。

クリスマスイブに考える 『利己主義』について

まぁクリスマスイブに考えるネタでもないかもしれませんが。

私の考えを吐露してみたいと思います。

『生き物は、全て利己主義である』というのが私の考えです。

まぁこんなことを言えば批判をあびせられそうだが。

これには説明が必要である。

この利己(己の利益)について、物理的な物のみを考えないでほしい。

物を得ても、不要であればそれは利益ではなく不利益であろう。

欲しくない物は場所をとる。

それを処分する労力も必要になる。

何が利益かは、その人にとって全く異なることは理解に易い。

利益とはつまり、自己の心情が納得、理解することである。

可能な選択肢の中から私たちは、最大限に想像力を働かせ、最も納得出来るであろう道を選択しているはずである。

それが、自分の財産が減少する選択であっても、何かしらそれ以上の対価がそこにあるのである。

例えば、愛する人がいるとする。

家族であったり、恋人であったり、友人であったり。

その人が幸福になることは自分にとっての利益にもなる。

些細なことだが、ここにケーキが一切れあるとして、目の前に子どもがいるとする。

私はそのケーキがとても好きで、食べるのをかねてから楽しみにしていたとする。

だがしかし、私はこのケーキを目の前の子どもに渡すだろう。

何故なら、そのケーキを自分で食べる場合と

その子どもにあげた場合との場面を想像した結果

前者の方が子どもも私も満足し、納得するだろうと思うからである。

子どもが嫌いな人であっても

それが喫茶店だった場合、他の人の目という環境も判断の変数に加わってくる。

様々な変数を考慮して自分にとっての精神的利益となる選択肢を人は行う。

これが私の言う『利己主義』である。

誰かをかばって自分が犠牲になる人は、その人をかばわずに相手を犠牲にすることの方が苦痛となるのだろう。

また、誰かが苦しんでいることを考えるのが辛くて人助けをしたいという人もいるだろう。

皆、利己主義である。

私にとって利己主義は当たり前で、この言葉自体悪い言葉ではなく、人間の本質を言葉にしたにすぎないと思っている。

 

『自利利他』という言葉がありますが

正にそれ、であれば良いですね。

人によっては、そう思えない人もいるかもしれませんが。

他者の利益になることそれ自体が自己の利益であるという考え方です。

ここで注意が必要なのは

他者に良くしておけば、いつかお返しがある、という見積もりではないということです。

それと、他者に良くして感謝の言葉が返ってくることによる喜びでもないということ。両者は同じことを言っていますが、つまりは見返りではなく

誰かの役に立つ行為そのものが自分にとっての利益だということです。

つまりは自分の行為であることが他者に知られていなくとも感じる満足感です。

ここでもうひとつ注意が必要。

この他者に利益となる行為は、単なる自己満足であってはならないということ。

自分がされて嬉しいことは他者にとっても同じではないことを理解しておく必要がある。

あくまでも当人が利益になることをしなければならない。

ここにPCPの考え方が含まれるのです。

人はそれぞれに価値観が異なります。

好みも違います。

それを、嬉しいだろう、嬉しいに違いないと決め込んで行う行為は『おせっかい』と言います。

上記に挙げたように、不要な物を貰うと困ります。

頂いたことに対しては嬉しくなくとも礼を述べるのが礼儀ですから。

不要でも処分に困ります。

お返しの心配まで発生します。

 

まぁ、常にそこまで考える必要は無いにしても、おせっかいにはならないようにしたいものです。

それこそ、悪い意味での利己主義になっちゃいますから。