プーブロ

日々の出来事から考えたことや、ふと思いついたこと、主に、そうした頭の中の出来事が吐露されることと思います。アウトプットの場ですね。

生きるとは。(ニートのすすめ)

えらくデカイテーマに出てしまいました。

そんなに深いものではないですが・・・

日本では、子どもの頃は学校に通います。

今は不登校などという状態もあるようですが、私は学校に行かなければならない義務だと受け止めて通っていました。

いや、義務っていうこと自体は考えてませんでしたね。

とにかく行くという以外の選択肢の存在を知りませんでした。

そして高校までは周りの人に合わせて、何処かに通うものなんだと考えていました。

ですが高校を卒業する頃、私の中に大学進学という選択肢は無く、手帳を見て、翌月に自分がどういう立場で何をしているのかが想像出来なかったのを今でも覚えています。

想像できないんだけれど、どこかに必ず私はいて、何かをしているはずで、ただ、現在の自分がそれを知らないだけなんだという考えだったのです。

そしてそれが一般的かどうか等という考えも全くありませんでした。

今考えると、かなり危険です。

危険というか・・なんて無知なのかと。

我ながらかわいそうになります。

 

どうやら、人間というものは、ある程度成長したら、何かしら働いて、稼いで、食べていく、というのが常識らしいです。

私は非常識でした。

働くことに、かなり無頓着なのです。

こんなことを言うと怒られそうですが。

では、『働く』とはどういうことでしょう?

何か誰かのためになる作業等を行うこと?

それによって収入を得ること?

 

仕事を得たい人はたくさんいて、それでも仕事が無いと嘆いている人もたくさんいて、なのに仕事が嫌だとかしんどいとか愚痴を言いながら働き続ける人もたくさんいる。

働きたくないけど働く人っていうのが、嫌々働いて愚痴を言うのかな。

家庭があって、それを維持するために必要な収入を確保するために働くのかな。

色んな選択肢の中から、嫌々働いて愚痴を言う、ということを自分で選択しているわけですね。

でも、そういう言い方をされるのは嫌だと思うかもしれない。

人は一度きりなのに、何故嫌々働くんだろうか。

もしくは、愚痴を言いつつもある程度納得して働いているんだろうか。

 

皆、出来ればやりたい仕事をしたいんだ。

だけどどこかで仕方ないとか、なりゆきとかである程度の仕事を選ぶわけかな。

妥協も必要とか言って。

 

私は、これは個人的な意見ですが、そうやって嫌々愚痴を言ったりしながら働く人よりもニートの方が好感持てる。

甘えていると見る人もいるかもしれない。

病んでいると捉える人もいるかもしれない。

でも私はそれも自己選択のひとつではないかと思うのである。

親から食事を供給される。

自室でパソコんに向かっている。

運動量は少ないが、維持される環境で、しっかり生きているわけですから。

 

生きるとは、鼓動を打つこと。

自然に止まるまで、ある空間の中で、トクトクトク・・・と。