プーブロ

日々の出来事から考えたことや、ふと思いついたこと、主に、そうした頭の中の出来事が吐露されることと思います。アウトプットの場ですね。

恐縮

暑い日が続きます。

急に夏がきたみたいですね。

以前、ブログに書いたかな、お花屋さんの件ですが。

ご病気でお休みされていたので、メールを送り伺うと、お花をもらって本ももらって色々教えてもらったもんだから、祖母が何かお返しをとずっと言っていて、先日復活オープンされたお祝いに、と言ってお菓子をお持ちしたんです。

そしたら、恐縮されて、でもまぁ受け取ってもらえてそれで終了と思いきや、お花屋さんのお母さんの方が、道で会ったときに「かえって気を遣わせてしまったねぇ、ごめんね、ありがとう。」と言われたんですね。

その足でお花屋さんに行くと、お姉さんも再度同じようなことを言われたんです。

「おばぁちゃんにも、よろしくお伝えくださいね。」と。

私は、と言えば・・「あーぜんぜん、いやいや、ことらの方が・・・」なんだかへたくそな受け答えをしました。

こういうのって、まぁよくあるコミュニケーションの例だとは思いますが、難しいですよねぇ。

まず、物品の価値と実用性、それに本人にとっての価値。そこに付随する言葉と気持ち。

これらのバランスが非常に微妙なもんだから難しい。

本音と、世間体と、飾り言葉と、上手なんかが交錯する。

こういうのって、日本人でも好む人と好まない人、得意な人と苦手な人、色々いて、自閉症スペクトラムにとっては非常に分からない分野なんだよねー。

そんなわけだからプレゼントって苦手なんだねー。

特にもらう場合。

ほしい物で、手に入れるのが困難であれば嬉しいのかもしれない。

だけど、私の場合恐縮の心境になる場合が多い。

恐らく、プレゼントという事柄が好きな人は、物以上に気持ちが嬉しいとかいう人なのかな。

プレゼントする側の心理って、どうだろう?

相手に喜んでもらいたいから、相手のことを考えて選ぶわけですね。

そうやって真摯に選んでもらった物は、概ね外れないかもしれない。

でも、適当に選べば、相手はほしくもない物を貰って困るかもしれない。

だけど貰う側は、それがどんなものであったとしても喜ばなければならない。

そして場合によってはお返しも必要だろう。

義務としてのお返しは、必ずしも相手のことを考えられない。

そういうやり取りの場合、顔では笑って心ではめんどくさいと思っているんだろうね。

 

貰いっぱなしという状態は、ある人間関係を維持させるのに問題だろうか。