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プーブロ

日々の出来事から考えたことや、ふと思いついたこと、主に、そうした頭の中の出来事が吐露されることと思います。アウトプットの場ですね。

生まれて、生きて、死ぬ。

実存主義という哲学思想を知った時

私は歓喜した。

私が考えていたこととリンクすると思ったからである。

「人は生まれながらの役割がある」などと言う友人の隣で

「人は生まれて生きて死ぬだけだ」とは言いにくいのだ。

言いにくいが、言ったならば

「それは生命の真理だ」と言われた。

言わせておこう。

人も犬も虫も植物もみんな同じ。

生まれたことに意味など無く、消えてなくなるだけの存在なのだ。

生きた証を残したところで

何年も・・・何百万年もしたら地球だって無くなってしまう。

いつか消えて無くなるのに

私たちは毎日の生活を頑張っているのである。

生きる意味を探したり

子孫に何かを残そうとしたり

でも、何かを思って行う毎日の行動によって

私たち自身が喜んでいる。

幸福感を感じて、それを周囲の人にも感じてほしいと思っている。

そういう仕組みが脳の中にあって

私たちは毎日行動するように操作されている。

私たちの日々の循環が、一体何のためなになっているのかなんてことは

私たちには決して分からない。

私たちが生きている内に回答が得られることはないということだけは分かっている。

だから私たちはただ、生まれて生きて死ぬ

その生きている間を、なんとか幸福感で満たしたいと思うのだ。

それでいいではないか。

決して、意味付けが悪いというのではない。

意味付けで目標や希望を持てる人もいるだろう。

だが私は意味付けはしない。

ただ、一生懸命生きるのみである。

日々の出来事を頑張って楽しむのである。

楽しめない日もくるから。

楽しめる内に、楽しまなくては。

死ぬ気で生きるのだ。

わがままを生きる

私にとって人付き合いは難しい。

特に距離感が分からずに自分の思う通りにいかないと

去ることになることもある。

 

そうしたことや、その他のトラブル。

私はそれらを先天的な機能のせいにしてみたのだが

どうも間違っているようであり

それならば後天的なものかと思考を巡らせた。

そしたら、思い当たるふしがあった。

 

私は幼少期より頑なな少女であった。

頑なであるが故か、もしくは他のわけでもあるのか

家で私に逆らう者はいなかった。

家の外は危険がいっぱいなのだが

家にいるかぎりには私は王様だったのだ。

 

好きな進路に進み

欲しい車を買ってもらった。

それでも周囲は私を無欲だと言った。

おかしな話だ。

皆がやろうという物を、私が受け取らないからである。

何故か、答えは簡単で、欲しくないだけである。

私は、必要な物を得、不要な物をいらないと言ったにすぎない。

 

つまり私は、甘やかされてわがままに育った。

何か障害があるわけでもなく

いたって恵まれて育ったのだ。

その結果が、大人になって世に出たら不都合が多発することになった。

 

自閉症スペクトラムの人が自分の失敗話を書籍化して

自分は障害があるからこんなことになってしまうと言う。

私は、同じような失敗を数多くしてきているのだけれども

たとえ同じように書き連ねても、わがままに育ったが故に

こんなことになってしまうと言わざるおえない。

 

そうか、私はわがままだったのか。

そこに気付いただけでも儲けもので

つまりは今後私はわがままな自分として生きていけば良いだけの話なのだ。

今更これを直そうなんてさらさら思わない。

思ったところでできそうにないし

直して自分が幸福になるのかなんて未知の世界だ。

 

私はわがままなまま、今後も失敗を繰り返すだろうし

わがまま故に突飛な行動にも出るだろう。

でもそれこそを楽しめたならば人生が潤うのではなかろうか。

今を否定せずに

そう思える今が、私は幸せだ。

ロールプレイングマキプ→

私は昨日、いいことを知りました。

ものすごくいいことを、教えてもらったのです。

私は未熟だから、それをそのまま活用することはできません。

失敗するかもしれないし

これが成功だという明確なものは無いからです。

だけど、知るということは心があたたかくなります。

私はとても、嬉しくなりました。

 

私はただ、人に尽くせば良いのです。

それは、自分自身のためなのです。

私が未熟なのは、誰に尽くせば良いのか、どのくらい尽くせば良いのかが分からないことろです。

分からないから安易に尽くすことは出来ません。

だけど、最初は慎重に、手探りで良いように思います。

この人こそ私が尽くす人だと思えた人に尽くせば良いのだと思います。

そして私は、尽した人に何も求めなくて良いのです。

全く何も。

お礼や笑顔すらも求めなくて良いのです。

ただ、私は尽くすのみで良いのです。

そうすれば私は鎧とか刀とかいったアイテムを手に入れることができるのです。

いくら攻撃されてもびくともしない鎧です。

いざ敵が襲って来た時に身を守ることができる刀です。

私はただ、人に尽くすことだけをするだけで

こんな素晴らしい物が手に入るのです。

 

私はまだ、誰にも尽くしていません。

昨日教わってから、まだ祖母にしか出会ってませんから。

私の心はまだまだけがれています。

まだまだ、邪念があります。

誰かに対してムカついたりしてしまうのです。

でもそれが、なくなると思うと嬉しくてなりません。

人に尽くすと、私を襲うイライラもムカムカも

鎧と刀ではねのけてしまえるからです。

そう考えるだけでも既に、私は強くなっている。

私は発達障害ではないと言われた。

幼少期の場面緘黙、対人トラブル、抜毛癖

ホルモン異常、アレルギー

極端な高揚感、虚無感

色々あるものだから行ってみたよ。

病院に。

私は一体何者ですか?

それが知りたくって・・・

私は、自閉症スペクトラムだと言われたかったんだ。

発達障害だと言われたかったんだ。

発達障害だから私はトラブるのだと思いたかった。

自分のトラブルの原因を、障害に求めたかったんだ。

だけどドクターは違うと言った。

私はスペっ子ではなかったらしい。

「ちょっと感じ方が変わっているのかもしれないけれど。」

そう言ってくれたのが救いである。

気分障害の可能性はある、ということで

次回は心理検査を受けることになった。

心中・・・えぇー気分障害かぁ。

発達障害が良かったなぁーと思いながらも腹は鳴る。

まぁでも、私は何者かという点に関して

発達障害の部類では無い何者かということは明らかになった。

できれば自分が気分障害であるとは思いたくないのであるが。

心理検査のモチベーションも、ちょい下がる。

だけれども、滅多に受けることが出来ないものだから

これは体験しておくのも一興。

これが結構長いらしいが

楽しむくらいで臨もうと思う。

そんなマキプ→は今調子が良いのだ。

調子が良いから病院にでも行けるのだ。

調子が良い内に何でもしておかなくっちゃね。

TOHOポテトフライじゃが塩バター

はまってます。

おいしすぎます。

割ってから食べてもいいし

丸まま食べてもグッド

とにかく酒のつまみにはポテトフライだべ。

食前食後にポテトフライだべ。

なんでこんなにおいしいんだろうか。

この味加減、このパリ加減

絶妙な食感がたまんねぇ。

あぁラスト1枚。

パリ!

おいしい♪

虫歯は痛いが

ポテトはうまい。

あっという間になくなっちゃった。

不可能を夢見ることは不条理か?

これは昨日の読売新聞朝刊のある箇所に見た言葉である。

フランスの哲学試験の一問らしい。

この質問に対して恐らくは何らかの解答を文面で示し、そこに点数が付けられるのだろうから何とも不思議な感覚だ。

どういう採点をするのだろうか。

 

因みに私ならまず、不可能という言葉に異議を呈したい。

何故ならば私の辞書に不可能という文字は・・・

ではないけれども、いや本当に、不可能というものは存在しないと考えている。

不可能があるとすれば、現時点においてという定義が必須になる。

つまりは、いかに現実的に不可能であると考えられることであっても

未来に同じことは言えないということである。

科学の発展。人は進化し、進歩する。

過去、私たちが不可能だと考えてきたことが

現在可能になったことも多いではないか。

故に、未来に託せば不可能なものなど無いと私は考えるのだ。

 

例えば死者を蘇らしたいと夢見た人がいるとして

現在の価値観では不可逆的であり確実に不可能である。

がしかし、身体が腐る前に冷凍保存して状態を保った肉体に特殊技術を加えて

脳波を蘇らせることが可能になる未来が来るかもしれない。

だとしたら、そうしたことを夢見ることは不条理なんかではなく

研究者を育てるモチベーションとなろう。

 

例えば1+1が2ではなく10であってほしいと夢見るひとがいたとすいる。

何をばかなと笑えるか?

今私たちは四次元の世界で生きている。

四次元の常識で生きている。

それはまさしく1+1=2の世界だ。

がしかし、宇宙は広い。

到底四次元では収まり切らない。

現在でも、十次元はあるのではないかと囁かれている。

十次元の世界では、1+1=2なんてありえないかもしれない。

それこそ1+1=10かもしれない。

だとしたら、これは疑うことなく夢見ることにより宇宙の真理に近づけるのではないかと考える。

 

結論

不可能を夢見ることは不条理か?

答えはNoである。

夢見て不条理なことなど、この世にもあの世にも皆無である。

「自閉症の君が教えてくれたこと」を見ました。

前回の「君が僕の息子について教えてくれたこと」を見て衝撃を受けたマキプー。

その後彼の著書を読み、ファンになり、感激した反面・・・

あまりに美しい心を見せつけられてしまい

黒い私が彼を疑いの目で見たくなった。

いや、私が見えていないだけかもしれない。

彼は恐らく、本音を語ったらああなるのであろう。

私の本音とはまるで違うから恐れ入るのだ。

 

私は以前、障害者と関わる仕事を経験した中で

重度の自閉症の方とも関わりがあった。

私は最初から自閉症が好きだった。

いや、私の視点での自閉症が好きだったのだ。

私は彼等の知性は信じた。

雑誌の細かい文字を読んだり、クロスワードパズルをやったりしているのを見ていたからである。

別の子も、私の言葉を即座に理解し、選択したり行動したり出来る人だった。

視線は明後日である。

行動も、言葉も、一般的ではない。

私が私の視点でのと書いたのは、彼等の興味関心についてである。

私は誤解をしていたのかもしれないと、東田さんを見て思った。

私は彼等が自己の興味する事象にしか気が向かず

私のことは関心が無いと思い込んでいた。

関わることはするが、それは単に道具としての役割であると思っていた。

私は、自分を評価されることが非常に苦手なので

私に関心を示さないと思っていた自閉症の彼等と一緒に居ることが

居心地が良かったのである。

でも・・・

本当は私を見ずに関心はあったのかもしれない。

彼等は彼らなりに他を評価しているのである。

東田さん曰くポンコツのロボットから、ちゃんと私をみていたんだ。

彼等は私を、どのように評価していたんだろう。