プーブロ

日々の出来事から考えたことや、ふと思いついたこと、主に、そうした頭の中の出来事が吐露されることと思います。アウトプットの場ですね。

あのね、いい気分を頭の奥で想像できている今。

ウイスキーセミナーの余韻でウイスキーにはまる。

家にあったウイスキーは何だか薬っぽいけれど、甘味をあてにすると美味しくなった。

43度のお酒がストレートですすむね。

BGMに昔のTLCなんか聞いてたらね、何故だか夢見心地みたいでね、私の求める夢を想像できる気がするんだよ。

もちろん架空のもの。

存在しないもの。

空想でしかない。

感覚でしかない。

だから虚しいんだけれど。

それでもいいんだ。

何だか会えた気がするね。

その、夢の世界に。

私の望むものに。

酔っ払いでいいよ。

そう思われていい。

何だろう、懐かしい感覚なの。

私は一体どんな夢の世界に憧れているんだろうか。

誰も満たせない私の心の世界。

決して誰も。

だから私は誰にも媚びないわ。

本当のところ誰もいらないんだもん。

必要としていないんだもん。

冷たいようだけれど、そうなんだから。

私の心は誰も満たせない。

何かが、もし何かが満たせるのであるならば、それはアルコールと音楽なのかもしれない。

ちびちび飲んでも無くなるもんだね。

ほんの少しづつグラスに注ぐんだけど、もう底をつきそうよ。

私が求めているものって、どこかに存在するものなのかしら?

自分でも分からないんだけど。

それでも求めてしまうんだね。

自分の中に探しに。

切ないけどね。

本当は何にも無いのかもしれないんだもん。

何も無いものを求めているなんて、やっぱり切ない。

そんな感覚って私だけなのかしら?

他の誰かも同じように感じる人っているのかな?

私は夢の中を生きていたいみたい

その夢とは自分の想像にすぎないのだけれど

かなり昔から、およそ幼少期より夢の中を生きていた気がする。

現実に魅力をあまり感じられないというのは本当のことだろうとは思う。

その夢というのはビジョンがあるわけではなくって、およそ曖昧なもの。

感覚的なものだから、それが一体何なのか自分でも良く分からない。

故に現実の何かがそうであるかと飛び込んでみて幻滅するということもあり得る。

時に音楽が私の夢を作りだす。

メロディであるとか、リズム、その音の幅のある場所が夢なのかもしれない。

私は感覚的に酔って目を閉じて音の作りだす夢の中に漂う。

夢の中の世界が、あまりにも魅力的なものだから

現実の世界がくすんで見えてしまうのかもしれない。

なんでこんな雑踏に皆身を置いて、それでいて楽しめるんだ。

皆と私は違う。

そうんな風に自分を特別視したかったのかもしれない。

そのくせ現実に感情的になることだってある。

そこに執着したり、未練を感じるほど愛情を注いだりもする。

結局はそうした切なさを忘れるための理論武装として夢の存在を自分に作り上げているんじゃないかとも考える。

何だろう、やはり喪失が怖いんだろうか。

寂しい感情になりたくないから?

私の夢は感覚的なものだから、色すらも分からない。

だけどいつか、そうした夢に居座らなくても大丈夫な現実を

自分の手で作るんだ。

毎日が楽しくて仕方が無い場所を。

皆が集まりたくなる場所を。

そこには音楽があって、笑いがあって、癒しがある。

おいしい食べ物もあって、おいしいお酒もあって、心が浮き立つような幸福がある。

美しいもの、かっこいいもの、そうしたステキな空間。

そういうものを作るにはまず自分がそうならなくっちゃならない。

外見もそうだけど、内面も。

心に余裕が必要。ゆとりが必要。

それがあってこそ豊かさが生まれる。

笑顔が大切。

どんなときでも笑顔になれるように日々心がける。

私は私の生きている夢の感覚を現実に再現する。

こんな幸福他に無い。

そう考えると、やっぱりわくわくしてきた^^

イベントの日に寂しく感じる理由について

クリスマスもそうだったけど、大晦日の今日も何だか寂しさを感じてしまう。

およそ理由は一人だからに他ならないのだけれど。

それでも一人の日なんていくらでもあるはずなのに。

こういう日に特に寂しさを感じてしまうのは……

多くの人は家族や友人、恋人と共に過ごしているんだろうって考えてしまうから。

いいなって、何だか羨ましいんだね。

そういやぁ何年も年末年始を日常と同じく一人で過ごしています。

子どもの頃は家族と紅白見たりして。

二十代からは友達とスキーに行ったり

車で遠出することもあったな。

でも、三十代を過ぎてからは特に記憶がないんだな。

特別な日を過ごしていないもんだから。

因みに去年は大晦日にオオクワさんのボトル交換して

元日は原稿の校正作業してたみたい。

手帳にそう書いてあった。

そして今年は勉強してる。

株式会社について、お勉強。

とにかく起業に向けて少しの時間も利用して作業していかなくっちゃ。

なので本来的には充実しているはずなのよ。

今頑張れば、来年の年末年始は盛り上がるんだから!

近所の一人住まいの人も集まってもらってカウントダウンやるんだから!

そう考えると今頑張れるよね!

一人きりでも努力している自分がいれば自信になるからね。

頑張れマキプ→!!

充実って何だろう。

ふいに、そんなことを考えてしまって即座にある答えは昔から思うことなんだけどやっぱり誰かと一緒に居るということが少なからず充実を補充するように感じる。

ただ、誰かというのは愛する人であったり気の合う仲間であったり自分にとってポジティブな存在である方が良いのだろうと思いはするのだけれども、本当にそうだろうか。

ちょっと待て、そもそも一人だと寂しいのか?

例えばテレビをつけていて興味深く視聴している際にはおよそ充実した状態だと言えるだろうね。

だけど、それが自分にとって成長や利益に役立たないと感じるならば無駄な時間を過ごしているように思えてしまう。

 

私は私の興味する学びの分野に没頭して成長してそのことによって充実感を味わいたいし、共感する人と共に時間を共有して充実したい。

そのことが後に形になって私を更に喜ばせてくれるのならば、同時に私以外の多くの人もそのことによって喜んでいてほしい。

 

一緒に飲む相手が誰であるかによって充実度はめちゃくちゃ変化する。

つまり一人か複数かという問題で充実感が変化するのではなく、自分にとって有意義な時間を過ごせているかという自己への問いの答えによって充実度は異なるのだ。

 

少しでも前進を願う私にとっては、やるべきことをやる。それしかないんだな。

外部に何かをもとめてはいけない。

 

 

安定は難しい。

なかなかどうして思考の波は無用な事柄に捉われて離れ難し。

故に書かなくっちゃならない。

私にはそれ以外の方法はない。

 

誰かと一緒に居ると人は安心するのは何故だろうか。

安心して油断して成すべきことまで忘れがちになる。

私は私。

そこを見失うので要注意なのに。

それでも人は人を求める。

寂しいのでしょうか。

 

やるべきことをやる。

着々と。

淡々と。

そうすれば前に進める。

必ず進める。

それだけのこと。

 

やるべきことは山ほどある。

私はやらねば。

それを考えて進めば良い。

やるしかないんだから!!

思考の転換

たいしたもんで、その時強烈に意識することに引きずられて思考の転換は起こる。

虚しさなんてどこへやら。

私はこうして人を忘れていくのかもしれない。

 

誰でも自分がいちばん大切なんだ。

いや大切かどうかということは分からなくとも

自分の意識、感情に、脳内物質、ホルモンに最も影響される。

至極当然。

 

人はこうして苦悩から脱出できるのであり

また新たな苦悩を抱えるのである。

 

この苦悩へは向き合うべきだろう。

少なくとも、私の場合は。

およそ逃げてきた人生を鑑みても

その分も更に抱え込んで思考せねばならない。

その先にしか未来は無い。

何故ならば、努力無しに得るものは私自身にそれなりの幸福しか与えない。

ともすればいくら高価な御馳走を目の前にしても不幸であるかもしれない。

 

人間とは不思議なもので「もの」のみでは喜べない。

そこに自分が関与した、自分の努力の結果の産物だという「こと」に価値を感じる。

私も、それを獲得しにかかろうとしている。

 

とにかく考えろ。

3考えて、そして7行動せよ。

努力はその過程すら幸福をもたらす。

継続せよ。

続けることで私は不要な悩みから解放される。

 

全て理にかなっており、最も合理的な生き方である。

喪失から一段落までの論理

まだ解消されない朝。

いわてのそれを想起してヒントを得ようと試みる自分がいる。

ひとつ見えたものは、自分の中に取り込むこと。

神として愛し、崇拝する。

毎朝想起して学ばせていただく。

それが叶わぬ日も平気になる。

 

私には私のすべき行動が沢山あって

そうして喪失云々負の感情なんて忘れていられる日々のはず。

およそ日にち薬で負は薄らいできている感はありつつも

今ここにいて思うこと、それは……

感じていたいということ。

自分の中に居てほしいということ。

たとえ負であったとしても。

喪失を胃や心臓の辺りに留め置いて

日中忙しくとも朝起きる時には辛さを感じていたい。

 

それはきっと、やっぱり、嫌なことだけではないから。

それ以上に幸福も感じたし、私にとっての心の拠り所だった。

たとえひとときであっても。

自分でそう決めたことだったとしても。

心って不思議で、そこに引きずられてくれる。

 

安心したい。

ちゃんと、自分の中に心地良く取り込んで。

そうしたら一段落できるんじゃないかと

今まだその途中で考えてみた。