プーブロ

日々の出来事から考えたことや、ふと思いついたこと、主に、そうした頭の中の出来事が吐露されることと思います。アウトプットの場ですね。

思考の転換

たいしたもんで、その時強烈に意識することに引きずられて思考の転換は起こる。

虚しさなんてどこへやら。

私はこうして人を忘れていくのかもしれない。

 

誰でも自分がいちばん大切なんだ。

いや大切かどうかということは分からなくとも

自分の意識、感情に、脳内物質、ホルモンに最も影響される。

至極当然。

 

人はこうして苦悩から脱出できるのであり

また新たな苦悩を抱えるのである。

 

この苦悩へは向き合うべきだろう。

少なくとも、私の場合は。

およそ逃げてきた人生を鑑みても

その分も更に抱え込んで思考せねばならない。

その先にしか未来は無い。

何故ならば、努力無しに得るものは私自身にそれなりの幸福しか与えない。

ともすればいくら高価な御馳走を目の前にしても不幸であるかもしれない。

 

人間とは不思議なもので「もの」のみでは喜べない。

そこに自分が関与した、自分の努力の結果の産物だという「こと」に価値を感じる。

私も、それを獲得しにかかろうとしている。

 

とにかく考えろ。

3考えて、そして7行動せよ。

努力はその過程すら幸福をもたらす。

継続せよ。

続けることで私は不要な悩みから解放される。

 

全て理にかなっており、最も合理的な生き方である。

喪失から一段落までの論理

まだ解消されない朝。

いわてのそれを想起してヒントを得ようと試みる自分がいる。

ひとつ見えたものは、自分の中に取り込むこと。

神として愛し、崇拝する。

毎朝想起して学ばせていただく。

それが叶わぬ日も平気になる。

 

私には私のすべき行動が沢山あって

そうして喪失云々負の感情なんて忘れていられる日々のはず。

およそ日にち薬で負は薄らいできている感はありつつも

今ここにいて思うこと、それは……

感じていたいということ。

自分の中に居てほしいということ。

たとえ負であったとしても。

喪失を胃や心臓の辺りに留め置いて

日中忙しくとも朝起きる時には辛さを感じていたい。

 

それはきっと、やっぱり、嫌なことだけではないから。

それ以上に幸福も感じたし、私にとっての心の拠り所だった。

たとえひとときであっても。

自分でそう決めたことだったとしても。

心って不思議で、そこに引きずられてくれる。

 

安心したい。

ちゃんと、自分の中に心地良く取り込んで。

そうしたら一段落できるんじゃないかと

今まだその途中で考えてみた。

少し離れて

頭が勝手に考えている内に

何故だか急に全体像が見えてきた。

もちろん思い込みの激しい私の勝手な妄想なのだけれど

行動観察が基盤だからおよそ正しいんじゃないかと考えてしまう。

 

まぁ正しいかどうかというよりも、私がそう考えたことによって私自身が幾分いや結構救われているということが重要。

 

これまでは自覚していたものの、全体を見ることができないでいた。

そのために痛い奴になり下がっているという自分も認知していた。

それを認知していてもそこから脱出できない自分がいた。

 

私は今、かなり穏やかになれた。

全体像は私を冷ややかにした。

つまりは私の沸騰した頭をやんわりと冷やしてくれた。

 

鳥瞰俯瞰するのではなく、少し離れて見ることができるようになってきた。

あまりに俯瞰しすぎると見えないものというものがそこにはあって

その事実こそが私を理解せしめ、安堵させている。

 

そっか、そうだったのか。

またこれも思い込みの激しさかもしれないが

まぁそれでもいいじゃないか。

およそ自分は納得しているのだから。

 

とにかく私はしばし目を逸らすことができそうに思えた。

とらわれなくってすみそう。

本気で、やるべきことに集中する準備が整った感じである。

 

つまり、後は努力あるのみ!!

努力の時期が来たのだ!!

虚しさ

朝起きたとき、虚しいという感情がまとわりついているときがある。

寂しさかもしれなしし、わびしさかもしれない。

 

ここ数日それが明確にあって、ちょっと切ない。

何故かはおよそ明確ではあるのだけれど

それがこんなに虚しさを感じる事象なのかと、そう思うとまた切ない。

 

私は結局いつも「人は一人」という言葉で自分を救おうとする。

誰かが私を助けるわけではない。

私の心は私しか分かり得ない。

そんな風にして私は得心せねばならない。

 

朝の作業をして、ばたばたしている内に虚しさなんて消えてしまうのだけれども

また朝やってくるのは何故なんだろうね。

 

やはり私は何かを求めてしまっていたんだね。

それでそれが手に入らないものだから

勝手に虚しさを感じて

それでいてまだ誰かに慰められたいなんて思っているんだわ。

虫のいいことに。

何かにすがりたいんだわ。

 

私は私の虚しさの処理に困っているのだけれども

またこの虚しさに浸っていたい自分がいるのも事実。

だって、その虚しさって私の感情なのだもの。

誰かに向けた、私の感情。

それが無くなるってことは私の想いも無くなるってこと。

だから、虚しさでも何でも感じていたい。

辛くとも、想っていたい。

 

一方通行は切ないけれど

自分の気持ちを大切にしたいんだね。

もしかしたら、まだ期待している自分もいる。

また辛い想いをするかもしれない。

でもいいんだ。

せっかくの感情なんだから、毎朝ぐっと感じていたいと思う。

思いあがり

私は自分で結構ちゃんとできているとおもっていたのだけれども。

どうも思いあがりらしくって、それを自覚するときがたまにある。

指摘されて初めて気付くこともある。

無意識に自分の嫌な部分が表出している。

ねたみとか、嫉妬とか。

自分に自信が持てないもんだから。

他者を批判して自分を保とうとする悪い部分が時折顔を出す。

気付いたとき、ものすごく嫌だね。

自分最悪って思う。

だけどこれが、表出時に自覚できていないもんだから恐ろしいね。

何だろうか。

普段の心がけだろうか。

いつの間にか、人を見下している。

自分をなんとか保ちたいから。

自信が無いから。

それをさらしたくないし。

悲しいね。

結局、しょうもない女になり下がっている自分がいる。

それに気付かされた。

最悪じゃん。

振られて当然だし、見下されて当然。

それでも、そんな自分でも生きていかなくっちゃならない。

優しいみんなに甘えて生きていかなくっちゃならない。

泣いてばかりいられないし。

努力しなくっちゃ始まらないし。

遊んでばかりいられないし。

頑張らなくっちゃ。

頑張るしかないじゃん。

私には何も無いんだから。

努力する以外に救われないっしょ。

努力あるのみ!!!

私は私個として確立せなあかんわ。

今日はそんなこと思った。

だってそれが何であれ依存していてはその都度揺さぶられて右往左往喜怒哀楽せなあかんことになって平成でいられへんくなっている。

そう今がまさにそうであるからこそ、そんなことを考えてしまう。

 

情けないが弱い。

弱いね。

自己に没頭しきれないんだね。

故に環境に左右させられる。

環境恐るべし。

 

すべきことが出来ないのはこまるのだ。

ふりまわされては困るのだ。

もうこうなれば、何もかもから離れてみるしかないのだろうか。

 

健気やわ私。

行動をするかしないかの選択肢があるならばまずするでしょう。

羞恥心とか、相手がどう思うとか、考えだすと行動できないようなことであっても

そこを乗り越えて行動することにしているのだ。

何故ならば、行動せずに結果が分からないということが私にとって最も後悔することだから。

そして何かしら行動することになって結果があって、そこに少々の落胆を覚えたりするのだね。

それはやはり、何かしら行動するにあたっては、何かしら期待してしまう自分がいるせいだ。

期待は危険だね。

何も求めなくったっていいんだよ。

本当は、自分が行動することを目的にすればいい。

そうして行動できているんだから、それでいいじゃないか。

人に尽くすと思って行動した結果がイマイチでも

そう思って行動じた自分を自分で褒めてやればいいじゃないか。

そう、私頑張った。

よくやったよ。

それでいいんだ。

自分に素直に生きればいいよ。

宮沢賢治みたく。

中原中也みたく。